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案山子のダンス

戯れに、小説など。照れますな。

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陶荒田神社(その十五)

古事記にいう「河内の美努村」とは、一般的には河内国若江郡三野付近とされています。

現在の地名では、「八尾市上之町南」辺りとなります。

三野は、美努とも書きます。

ところで、和泉国が河内国から分国されたのは、孝謙天皇・天平法字元年(757年)5月8日のことです。

因みに、古事記の成立は、元明天皇・和銅5年(712年)1月28日だとされています。

日本書紀の方は、それに遅れること8年、元正天皇・養老4年(720年) 5月に完成しました。

いずれの書物も、分国前の旧河内国時代に編纂されたものですから、「陶邑」が河内国に属していても何の不思議もありません。

それでは、河内の陶邑と同じ河内の美努村とは、どのような関係にあったのでしょうか。

ところで、「美努村」は「茅努」の誤りであるという説があります。

そうすると、大田日根子は、河内国の茅努に住んでいたことになります。

茅努は、和泉地方の古い呼び名です。

さらに、陶荒田神社が鎮座する「上之」の東部に、隣接して「見野山」という地名が残っています。

これは、明治22年4月1日の町村制施行により消えた「旧見野山村」の名残だと思われます。

当社は,これも町村制施行で姿を消した「旧上之村」に在るわけですが、大胆な解釈をすれば、古代には、この一帯は「見野」という地名で一括りにされていたと考えることもできます。

そして、古代における日本最大の須恵器生産地であった、この辺りは、通称「陶邑」と呼び習わされていたのではないでしょうか。
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  1. 2013/02/13(水) 16:07:22|
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