案山子のダンス

戯れに、小説など。照れますな。

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陶荒田神社(その七)


ところで、崇神天皇は当時たいへんな厄災に見舞われていました。
日本書紀の記述を辿ってみましょう。

「五年、国内多疾疫、民有死亡者、且大半矣。」

五年に、国内に疫病多く、民の死亡するもの、半ば以上に及ぶほどであった、という意味です。

続いて、六年の条は、
「六年、百姓流離。或有背叛。其勢難以徳治之。是以、晨興夕、請罪神祇。先是、天照大神・倭大国魂二神、並祭於天皇大殿之内。然畏其神勢、共住不安。故以天照大神、託豊鍬入姫命、祭於倭笠縫邑。仍立磯堅城神籬。(神籬、此云比莽呂岐) 亦以日本大国魂神、託渟名城入姫命、令祭。然渟名城入姫命,髪落體痩而不能祭。」とあります。

読み下せば、
「六年に、百姓流離へぬ。或いは背叛くもの有り。其の勢、徳を以て治めること難し。是を以て、晨に興き夕までに惕りて、神祇に請罪る。是より先に、天照大神・倭大国魂、二の神を、天皇の大殿の内に並祭る。然して其の神の勢を畏りて、共に住みたまふに安からず。故、天照大神を以ては、豊鍬入姫命に託けまつりて、倭の笠縫邑に祭る。仍りて磯堅城の神籬を立つ。亦、日本大国魂神を以ては、渟名城入姫命に託けて祭らしむ。然るに渟名城入姫、髪落ち体痩みて祭ること能はず。」となります。
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  1. 2013/02/08(金) 22:10:24|
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