案山子のダンス

戯れに、小説など。照れますな。

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高倉寺宝積院(その二)

行基の開創伝承をもつ寺は大阪府南部にも多数存在しますが、高倉寺は、行基の生家である「家原寺」に次いで、いわゆる「行基開創49院」の二番目の「大須惠院」として建立されたといわれています。 

寺号の「須惠」は、須惠器の「陶(すえ)」に由来するものです。

和泉国大鳥郡大村里大村山、現在の堺市南区高倉台付近は、当時、須恵器の一大生産地として知られていました。

この周辺は、日本書紀崇神天皇7年条にある「茅渟県陶邑」の最有力候補地に比定されています。

須恵器とは、わが国で古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器のことですが、高倉寺創建時には既に大村里では、その生産高は斜陽の途を辿っていました。

「大須惠院」という寺号は、大村里の再興を期して付けられたと伝えられています。

「秋八月癸卯朔己酉、倭迹速神淺茅原目妙姬・穗積臣遠祖大水口宿禰・伊勢麻績君、三人共同夢、而奏言、昨夜夢之、有一貴人、誨曰、以大田々根子命、爲祭大物主大神之主、亦以市磯長尾市、爲祭倭大國魂神主、必天下太平矣。天皇得夢辭、益歡於心。布告天下、求大田々根子、卽於茅渟縣陶邑得大田々根子而貢之」
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  1. 2013/01/19(土) 21:18:04|
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