案山子のダンス

戯れに、小説など。照れますな。

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聖神社(その五百五十四)

「全くの若造で、十七八かと思える。立派な腹巻に黄金造の存外にも名刀を佩いている。油断するなよ。」と法眼が注意しますと、湛海がこれを聞いて言いますには、「そのような若造が、分に過ぎた太刀を帯びていても、どうということはありません。
一太刀も必要ないでしょう。大袈裟すぎます。ご心配なく。」
と呟いてから、法眼の屋敷を辞しました。


この湛海坊なる男、傲岸な法眼の義弟に相応しい人物です。
高言を残して立ち去りました。
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  1. 2014/11/30(日) 02:22:29|
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聖神社(その五百五十三)

「未だ堅固若き者、十七八かと覚え候ふ。良き腹巻に黄金造りの太刀の心も及ばぬを持ちたるぞ。心許し給ふな」と言ひければ、湛海是を聞きて申しけるは、「何条それ程の男の分に過ぎたる太刀帯いて候ふとも何事か有るべき。一太刀にはよも足り候はじ。ことごとし」と呟きて、法眼が許を出でにけり。
  1. 2014/11/30(日) 00:10:55|
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聖神社(その五百五十二)

その頃、北白河に世の常を越えた者がおりました。
この者は法眼の妹婿です。
しかも法眼の弟子でもありました。
その名は湛海坊と言います。
法眼が湛海坊の許へ使いを遣わしますと、間もなく湛海坊がやって参りました。
大広間に迎え入れ、いろいろともてなしをしたうえで、法眼が申したことは、「そなたに来てもらったのは、ほかでもないことだ。
今年の春頃から、この法眼の屋敷に、相当な風体の若者が一人きていて、下野守
の左馬頭義朝の息子だと言っている。この男を助けておいては良いことはあるまい。
そなたのほかに、頼る者はいない。
夕刻五条の天神へ行ってくれ。
あの男を騙して、そこへ行かせるから、首を斬り落として見せてもらいたい。
そうすれば、そなたが、この五六年欲しがっていた六韜兵法を、そなたに差し上げよう。」と言いますと、「そのこと承知いたしました。出かけて見れば、どのみち解ることですが、いったい、どのような男ですか。」と尋ねましたので、


法眼も腹黒い男です。
刺客まで雇いますか。
  1. 2014/11/29(土) 02:00:38|
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聖神社(その五百五十一)

其の頃北白河に世に越えたる者有り。法眼には妹婿なり。しかも弟子なり。名をば湛海坊とぞ申しける。彼が許へ使ひを遣はしければ、程無く湛海来たり、四間なる所へ入れて様々にもてなして申しけるは、「御辺を呼び奉る事別の子細に有らず。去んぬる春の頃より法眼が許に然る体なる冠者一人、下野の左馬頭の君達など申す。助け置き悪しかるべし。御辺より外頼むべく候ふ人なし。夕さり五条の天神へ参り、此の人を賺し出だすべし。首を切つて見せ給へ。さも有らば五六年望み給ひし六韜兵法をも御辺に奉らん」と言ひければ
  1. 2014/11/29(土) 00:00:04|
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聖神社(その五百五十)

ある者が、「姫君の許におられる方は、左馬頭殿の若君だと聞いております。」と言いますと、法眼はそれを聞いて、「日陰の身の源氏が館に立ち入り、そのことが全て六波羅の耳に届いたら、よいことはあるまい。(源氏と懇ろになるとは)、あの姫はこの世では我が子であるけれど、前世では敵であったのだろうか。
いっそのこと斬って捨てようかと思いましたが、いやいや子を害することになれば五逆罪は免れないだろう。
義経なら異姓の他人であるから、この男を斬り捨て、その首級を平家のご覧にいれて、手柄愛でてもらおう、と思いましたが、(修験者の身である)自ら手を下すことが憚れますので、どこかに、肝っ玉の据わった男がいれば、その者に頼んで義経を斬らせようと考えました。


義経も相当したたかな小童ですが、一方の法眼も強欲な小心者です。
どっちもどっちですな。
なお、五逆罪とは、母を殺すこと,父を殺すこと,阿羅漢を殺すこと,仏身より血を出させること,僧団の和合を破壊することをさします。
ちなみに、子殺しの罪は入っていません。
  1. 2014/11/28(金) 02:07:00|
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聖神社(その五百四十九)

或る人申しけるは、御方におはします人は、左馬頭の君達と承り候ふ由申せば、法眼聞きて、世になし者の源氏入り立ちて、すべて六波羅へ聞こえなば、よかるべき。今生は子なれ共、後の世の敵にて有りけりや。切つて捨てばやと思へ共、子を害せん事五逆罪のがれ難し。異姓他人なれば、是を切つて平家の御見参に入つて、勲功に預からばやと思ひて伺ひけれども、我が身は行にて叶はず。あはれ、心も剛ならん者もがな、斬らせばやと思ふ。
  1. 2014/11/28(金) 00:00:07|
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聖神社(その五百四十八)

義経は大喜びして、書物を大きく拡げて見入りました。
そして、昼は一日中それを書き写し、夜は一晩中それを復習しました。
七月の上旬からそれを読み始め、十一月の十日頃には、義経は六韜十六巻を残さず暗記してしまいました。
その後は、館のうちの彼方此方に姿を見せたので、法眼も今はそれに気づいて「あの男が未だに居ることは仕方がないとして、何故姫の所に行くのだ。」と怒りました。


前にも触れましたが、『六韜』は、古代中国の兵法書です。
その名前どおり、「文韜」「武韜」「龍韜」「虎韜」「豹韜」「犬韜」の六巻からなっています。
義経記が十六巻というのは、何処から出できたのかよく解りません。
大化の改新の中臣鎌足が全巻暗唱できたという伝承が残されていますから、義経記がいう義経伝説もそれに倣ったものなのかもしれません。
  1. 2014/11/27(木) 01:27:02|
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聖神社(その五百四十七)

御曹司悦び給ひて、引き拡げて御覧じて、昼は終日に書き給ふ。夜は夜もすがら是を服し給ひ、七月上旬の頃より是を読み始めて、十一月十日頃になりければ、十六巻を一字も残さず、覚えさせ給ひての後は、此処に有り、彼処に有るとぞ振舞はれける程に、法眼も早心得て、「さもあれ、其の男は何故に姫が方には有るぞ」と怒りける。
  1. 2014/11/27(木) 00:00:21|
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聖神社(その五百四十六)

(姫君の許でしのび暮らしを続ける)義経は、「人に忍んで暮らすほど、心苦しいものはない。
何時までもここでこうしているわけにはいかないので、法眼殿にこのことを知らせることにしょう。」と言いました。(父を恐れる)姫君は、義経の袂に取りすがって悲しみましたが、義経は、「私はかねてより、六韜を読みたいと願っていた。だから、それを見せてはもらえないだろうか。」と頼みました。
姫君は、このことが明日にでも知れたら、義経は父法眼に亡き者にされることは、防ぎようもないと思いましたが、気を取り直して、幸寿を連れて、父の大切にしている宝蔵に忍び入り、数々の巻物の中から、金具が巻かれた唐櫃に入っていた六韜兵法の一巻を取り出して義経に渡しました。


義経も嫌な男ですな。
  1. 2014/11/26(水) 02:01:08|
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聖神社(その五百四十五)

御曹司、「人にしのぶ程げに心苦しきものはなし。何時まで斯くて有るべきならねば、法眼に斯くと知らせばや」とぞ宣ひける。姫君は御袂にすがり悲しみ給へども、「我は六韜に望有り。さらばそれを見せ給ひ候はんにや」と宣ひければ、明日聞こえて、父に亡はれん事力なしと思ひけれども、幸寿を具して、父の秘蔵しける宝蔵に入りて、重々の巻物の中に鉄巻したる唐櫃に入りたる六韜兵法一巻の書を取り出だして奉る。
  1. 2014/11/26(水) 00:00:34|
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聖神社(その五百四十四)

幸寿前は、その手紙を持って末の姫君の所へ参り、いろいろ言いくるめて、その返事をもらって帰ってきました。
義経は、その時から、法眼の館には顔を見せなくなりました。
ただ、姫君の許へ引き籠ってばかりいました。
それを知らない法眼は、「このような気持ちよいことはない。義経め。目にも見えず、音も聞こえない所へ消え失せてしまえばよいと常々思っていたが、そのとおりになったとは、嬉しい限りだ。」と法眼は上機嫌で申しました。


法眼も嫌味な人物ですが、ここまで虚仮にされると、少々可哀想になってきます。
  1. 2014/11/25(火) 01:12:41|
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聖神社(その五百四十三)

我が主の方に行き、やうやうに賺して、御返事取りて参らする。御曹司それよりして法眼の方へは差し出で給はず。只大方に引き篭りてぞおはしける。法眼が申しけるは、「斯かる心地良き事こそ無けれ。目にも見えず、音にも聞こえざらん方に行き失せよかしと思ひつるに、失ひたるこそ嬉しけれ」とぞ宣ひける。
  1. 2014/11/25(火) 00:10:13|
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聖神社(その五百四十二)

「左様でしたら、お手紙を認めてくださいまし。法眼様が大層愛しんでおられる末の姫君で、誰にも会わせられたことのない方がおられます。
その方をなんとか言い紛らせて、お手紙の返事を頂いてまいりましょう。」と幸寿が言いますので、義経はこの者は身分の低い者ながら、これほど人情をわきまえているのか、と感心しながら、手紙を認めて手渡しました。。

この女、妙に馴れ馴れしいのが気になりますが、これも義経の魅力の所為でしょうか。
  1. 2014/11/24(月) 02:09:39|
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聖神社(その五百四十一)

「さ候はば、文を遊ばし給ひ候へ。法眼の斜ならず、いつきの姫君の末の、人にも見えさせ給はぬを、賺して御返事取りて参らせ候はん」と申す。「女性の習ひなれば、近づかせ給ひ候はば、などか此の文御覧ぜで候ふべき」と申せば、次の者ながらも、斯様に情有る者も有りけるかやと、文遊ばして賜はる。
  1. 2014/11/24(月) 00:00:44|
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聖神社(その五百四十)

このように、そなたと懇ろになったのも、この世ならぬ前世の因縁であろう。
隠しても仕方のないことだから明かすが、人には喋らないでくれ。
私は左馬頭義朝の子で源九郎と言う者だ。六韜という兵法の書物に望みをかけているため、法眼も心よく思っていないのだが、敢えてこの様にしているのだ。その書物の在処を教えてくれ。」と頼みました。
「どうしてその様なことを存じていましょうか。それは法眼様が大層大事にしていらっしゃると聞いたことがあります。」と答えると、「それでは如何いたそうか。」と義経は申しました。
  1. 2014/11/23(日) 08:05:05|
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聖神社(その五百三十九)

「斯様に知る人になるも、此の世ならぬ契にてぞ有るらめ。隠して詮なし。人々に知らすなよ。我は左馬頭の子、源九郎と言ふ者なり。六韜兵法と言ふものに望みをなすに依りて、法眼も心よからねども、斯様にて有るなり。其の文の在所知らせよ」とぞ仰せける。「如何でか知り候ふべき。それは法眼の斜ならず重宝とこそ承りて候へ」と申せば、「扨は如何せん」とぞ仰せける。
  1. 2014/11/23(日) 00:00:38|
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聖神社(その五百三十八)

「なに、法眼如きの身分で、上臈の婿をとるとは、分に過ぎたことだ。法眼は世間のことを顧みないで、馬鹿げたことをするから、人々に顔を打たれるときにも、婿たちは決して味方して家の恥をそそいではくれまい。それよりも、私はこの有様であるから、婿にとれば、舅の恥を雪いでやれるものを。そのように舅に伝えてくれ。」と義経が言いますと、幸寿はそれを聞いて、「女でありましても、そのようなことを申せば、首を切りかねないお人です。」と言いました。

それにしても義経は図々しい。
法眼のことを舅と呼びました。
  1. 2014/11/22(土) 00:48:01|
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聖神社(その五百三十七)

「何条法眼が身として上臈婿取る事過分なり。法眼世に超えて、痴れ事をするなれば、人々に面打たれん時、方人して家の恥をも清めんとは、よも思はじ。それよりも我々斯様に有る程に婿に取りたらば、舅の恥を雪がんものを。舅に言へ」と仰せられければ、幸寿此の事を承りて、「女にて候ふとも、然様に申して候はんずるには、首を切られ候はんずる人にて候ふ」と申しければ、
  1. 2014/11/22(土) 00:00:21|
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聖神社(その五百三十六)

「女三人は、何処にいるのか。」
「それぞれ幸せに、身分の高い婿を取られています。」
「婿は誰だ。」
「長女は、平宰相信業卿の北の方に、もう一人は鳥養中将に嫁がれています。」と幸寿前が言いますと、

因みに、平信業とは後白河院の寵臣だったとされる実在の人物ですが、一方の鳥養中将については何者かは不詳です。
  1. 2014/11/21(金) 00:57:19|
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聖神社(その五百三十五)

「婿(むこ)は誰(た)そ」「嫡女(ちやくによ)は平宰相(へいざいしやう)信業卿(のぶなりのきやう)の方(かた)、一人は鳥養(とりかひ)中将(ちゆうじやう)に幸(さいは)ひ給(たま)へる」と申(まう)せば、

それにしても、この義経、かなり厚かましい性格の持ち主に見えます。

よくも他家の内情にこれほど踏み込めるものです。
  1. 2014/11/21(金) 00:00:53|
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聖神社(その五百三十四)

「男二人は、この家に居るのか。」
「はやと言う所へ行き、無頼の輩の大将になられています。」
「また、女三人は何処にいるのだ。」
「それぞれ幸いなことに、身分の高い婿を持たれています。」
と言えば、

なお、「印地」とは、もともと石合戦のことでしたが、後に、転じて無頼の徒という意味になりました。
  1. 2014/11/20(木) 03:37:07|
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聖神社(その五百三十三)

「男(をとこ)二人(ふたり)家(いへ)に有(あ)るか」「はやと申(まう)す所(ところ)に、印地(いんぢ)の大将(たいしやう)して御入(おい)り候(さうら)ふ」「又三人の女子は何処(いづく)に有(あ)るぞ」「所々に幸(さいは)ひて、皆(みな)上臈婿(じやうらうむこ)を取(と)りて渡(わた)らせ給(たま)ひ候(さうら)ふ」と申(まう)せば、
  1. 2014/11/20(木) 03:00:30|
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聖神社(その五百三十二)

「それでも。(何か言っているだろう)」と義経が再度尋ねると、「以前には、『居るなら、居るで,放っておけ。居なければ、居ないとして、皆、噂などせぬことだ。』と、仰っていました。」と言いますので、「この義経には、気を許してはいないのだな。ところで、法眼には子供が何人いるのだ。」と尋ねると、「男二人、女三人です。」と答えました。
  1. 2014/11/19(水) 01:34:51|
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聖神社(その五百三十一)

「さりながらも」と問(と)はせ給(たま)へば、「過(す)ぎし頃(ころ)は「有(あ)らば有(あ)ると見よ。無(な)くば無(な)きと見(み)て、人々(ひとびと)物な言(い)ひそ」とこそ仰(おほ)せ候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、「義経(よしつね)に心(こころ)許(ゆる)しもせざりけるごさんなれ。誠(まこと)は法眼(ほふげん)に子は幾人(いくたり)有(あ)る」と問(と)ひ給(たま)へば、「男子二人(ふたり)女子三人」
  1. 2014/11/19(水) 00:00:24|
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聖神社(その五百三十)

ところで、法眼の屋敷内には幸寿前という女がおりました。
この女は身分は低かったが、人情の厚い者で、何時も義経の許にきて世話をやいていました。
自ずから馴染み深くなり、義経は世間話のついでに、「そもそも、法眼はこの私のことを何と言っているのか」と尋ねると、女は「何とも仰ってはいません。」と答えました。
  1. 2014/11/18(火) 01:32:17|
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聖神社(その五百二十九)

かくて法眼(ほふげん)が内(うち)に幸寿前(かうじゆのまへ)とて女有(あ)り。次の者(もの)ながら情(なさけ)有(あ)る者(もの)にて、常(つね)は訪(とぶら)ひ奉(たてまつ)りけり。自然(しぜん)知(し)る人(ひと)になる儘(まま)、御曹司(おんざうし)物語(ものがたり)の序(ついで)に、「抑(そもそも)法眼(ほふげん)は何(なに)と言(い)ふ」と仰(おほ)せられければ、「何とも仰(おほ)せ候(さうら)はぬ」と申(まう)す。
  1. 2014/11/18(火) 00:00:51|
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聖神社(その五百二十八)

ここで、四条の聖と呼ばれているのは、正門坊のことです。
俗名、鎌田正近。出家して、人々から四条の上人と言われていました。
義経記によると、義朝に仕えた鎌田正清の子であり、後に義経に従って、平氏追討軍に加って各地を転戦し、文治元年2月の屋島の戦いで討死しました。
  1. 2014/11/17(月) 07:23:13|
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聖神社(その五百二十七)

山科を出で、法眼の屋敷に来てから、食事をした様子もないのに、やせ衰えることもなく、
日ごとに美しい衣に着替えなどもされました。
一体、何処へ行かれているのだろうかと人々は怪しみました。
実は、夜は四条の聖の許へ通われていたのです。
  1. 2014/11/17(月) 06:33:41|
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聖神社(その五百二十六)

出(い)でてより飯(いひ)をしたため給(たま)はねども、痩(や)せ衰(おとろ)へもし給(たま)はず。日に従(したが)ひて美(いつく)しき衣がへなんど召(め)されけり。何処(いづく)へおはしましけるやらんとぞ人々(ひとびと)怪(あや)しみをなす。夜は四条(しでう)の聖(ひじり)の許(もと)にぞおはしける。
  1. 2014/11/16(日) 09:36:22|
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聖神社(その五百二十五)

それをも打過ぎ、地獄の数々、何れ疎(おろか)もなく、呵責(かしやく)の責隙(せめひま)なし。罪人の叫ぶ声、怖しきともなかなかに、筆に書くとも及び難し。

大天狗に連れられて地獄巡りを終えた牛若は、いよいよ父義朝のいる極楽へ向かうこととなります。
では、長々滞留しました御伽草子の世界から一旦お暇して、義経記の許へ引き返します。
  1. 2014/11/16(日) 08:14:44|
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