案山子のダンス

戯れに、小説など。照れますな。

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聖神社(その三百七十二)

桓算とは、大辞林 第三版の解説によれば、「平安時代の天台宗の僧。内供奉(ないぐぶ)に任ぜられ,桓算供奉と称された。
恨みから霊鬼となり朝家を悩ましたという。」とあります。

もっとも、実在の人物かどうかは明らかではないといわれています。

この霊鬼が天狗であると断言はできません。

しかし、左右の羽を持つ、その形態は後世の天狗のイメ-ジを彷彿とさせます。
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  1. 2014/08/31(日) 03:28:04|
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聖神社(その三百七十一)

 帝は、このご病気のために金液丹という薬をお召し上がりになっていましが、「その薬を飲む人はこのように目を患うのだ」と申した人もおります。

しかし、桓算という供奉僧が物の怪として現れ、申し上げたところによりますと「私が帝の御首に乗って、左右の羽でお顔を覆っているので目がお見えにならないのだ。そして、羽をばたつかせて動かすときに、帝は少しものごとを御覧になるのだ」と言ったそうです。
  1. 2014/08/31(日) 02:31:03|
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聖神社(その三百七十)

上東門院とは、藤原彰子のことですが、「栄花物語」の正編30巻の作者だといわれる赤染衛門は、彰子に仕える女房の一人です。

正編は後一条天皇の万寿の頃の書物です。

同時代の「大鏡」にも、天狗は姿を見せます。

 「六十七代三条天皇居貞」の段です。

少し長くなりますが、引用しておきます。

御病(やまひ)により、金液丹(きんえきたん)といふ薬(くすり)を召(め)したりけるを、「その薬くひたる人は、かく目をなむ病(や)む」など人は申(ま)ししかど、桓算供奉(くわんざんぐぶ)の御物(もの)の怪(け)にあらはれて申(まう)しけるは、「御首(くび)に乗りゐて、左右の羽をうちおほひ申(まう)したるに、うちはぶき動かす折に、すこし御覧ずるなり」とこそいひ侍(はべ)りけれ。御位(くらゐ)去らせ給(たま)しことも、多くは中堂(ちゆうだう)にのぼらせ給(たま)はむとなり。さりしかど、のぼらせ給(たま)ひて、さらにその験(しるし)御座(おは)しまさざりしこそ、口惜(くちを)しかりしか。やがておこたり御座(おは)しまさずとも、すこしの験はあるべかりしことよ。されば、いとど山の天狗(てんぐ)のし奉(たてまつ)るとこそ、さまざまに聞(き)こえ侍(はべ)れ。
  1. 2014/08/30(土) 07:03:02|
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聖神社(その三百六十九)

長い間、姿を隠していた天狗が突如として現れてきたのは、平安中期のことですが、この時期天狗はすでに狐と習合していました。

しかし、はっきりとした容姿はまだ不明です。

ところで、「栄花物語」巻三十六「根合」には、「白河殿には、盡きせず昔を變させ給つつ行はせておわします。天狗などむつかしき邊りにていみじう煩はせ給う。」と白河に住む上東門院の仏道修行を近辺に現れる天狗などの物の怪が妨げると記しています。
  1. 2014/08/30(土) 05:30:37|
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聖神社(その三百六十八)

同じ源氏物語の「手習」の帖にも。浮舟が助けられた場面の描写があります。

ところが、それは次のような記述となっています。

「何の、さる人をか、この院の内に捨てはべらむ。たとひ、真に人なりとも、、木霊やうの物の、欺きて取りもて来たるにこそはべらめと、不便にもはべりけるかな。穢らひあるべき所にこそはべめれ」

奇妙なことに、ここでは天狗が狐に変わっているのです。
  1. 2014/08/29(金) 01:18:55|
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聖神社(その三百六十七)

『源氏物語』宇治十帖「夢浮橋」には、「事の心をし量り思たまふるにてんくこだまなどやうの物のあさむき率てたてまつりけるにやとなんうけたまはりし」とあります。

ここでは、天狗は木霊と同様なものとして扱われています。

木霊は、樹木に宿る精霊です。

不思議な力を持ったこの精霊は、森の中を駆け回るとされています。

天狗もそのような姿を見せない物の怪の一種だと考えられていたのでしょう。
  1. 2014/08/29(金) 00:00:02|
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聖神社(その三百六十六)

『宇津保物語』は、平安時代中期に成立した長編物語ですから、随分長い間、天狗は姿を隠していたことになります。

もっとも、ここでの天狗は、具体的な形を持たない、山中に棲むもののけの一種として捉えられています。

天狗はやがて、源氏物語の中にも姿を現します。
  1. 2014/08/28(木) 01:14:36|
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聖神社(その三百六十五)

天狗が再びわが国の書物に顔を覗かせるのは『宇津保物語』です。

『宇津保物語』(俊蔭)には、次のような一節があります。

「かくはるかな山に、誰れかものの音調べて遊びゐたらん、天ぐ のするにこそあらめ。」
   
遥かな山から、不思議な楽の音が聞こえてきた。誰かが琴を弾いて楽しんでいるのだろうか。いや天狗の仕業ではなかろうか。
  1. 2014/08/28(木) 00:59:32|
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聖神社(その三百六十四)

因みに。漢書巻二十六「天文志」第十三に次の記述がみられます。

「天狗、状如大流星、有聲、其下止地、類狗。」

やはり、ここでも狗です。

聖徳太子傳暦にいう「時僧旻法師曰 是謂天狐也」とは一体何だったのでしょうか。

それはともかく、これ以降、天狗は日本の書物からぷっつりとその姿を消してしまいます。
  1. 2014/08/27(水) 09:44:09|
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聖神社(その三百六十三)

僧旻は、隋そして新しく建国された唐に引き続き24年間も滞在しました。

当然、史記にも目を通しているでしょう。

わさわざ、天狗を天狐と読むはずはないような気がします。

「天狗は空にいるときは大奔星の形をしているが、地上に降りると狗に似て見える。」
  1. 2014/08/27(水) 06:37:36|
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聖神社(その三百六十二)

この「アマツキツネ」という読みの種本は、聖徳太子伝暦とされています。

聖徳太子傳暦一卷下

舒明天皇九年 丁酉 春二月 大星從東流西 有聲如雷 時僧旻法師曰 是謂天狐也 

ところで、『史記』「天官書 第五」には、天狗について、次のような記述があります。
  
「天狗、状如大奔星、有声。其下止地類狗(犬)、」
  
(天狗は、状(かたち)大奔星の如くにして声有り。地に止まるときは、狗に類(に)たり。)
  1. 2014/08/26(火) 03:05:25|
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聖神社(その三百六十一)

 狗が何故、狐や山猫に変身したのかは不明ですが、日本書紀の「あまつきつね」の訓は、北野本の訓によるものだとされています。

北野八幡宮所蔵の日本書紀は、鎌倉時代の写本で、卜部兼永が所持していたため、兼永本とも呼ばれています。

書紀の校本としては貴重なもので、重要文化財に指定されています。
  1. 2014/08/26(火) 00:00:44|
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聖神社(その三百六十)

中国古代の地理書「山海經(せんがいきょう)」には、天狗のことが記されています。
 
その西山経三に、「獣あり。その状狸の如く、白い首、名は天狗。その声は榴榴の様。凶をふせぐによろし」とあります。

狸とはヤマネコのことらしく、それに似た挿絵が載せられています。

其状如貍而白首,名曰天狗,其音如榴榴。

なお、「榴榴」は猫の鳴き声の擬音だと思われます。
  1. 2014/08/25(月) 08:58:05|
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聖神社(その三百五十九)

ここで、奇妙に感じるのは、「天狗」のもともとの意味は、「天の狗(いぬ)」だからです。

古代中国でも同じ漢字を使用して、凶星を指しました。

つまり、人々に凶事を知らせる流星のことを、天狗と呼んだのです。

大型で明るく燃える隕石は、地表付近で空中爆発を起こすことがあります。

その大爆音を、古代中国人は天の狗の鳴き声だと感じたのです。
  1. 2014/08/25(月) 07:38:30|
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聖神社(その三百五十八)

旻は中国系の渡来民出身の学僧です。

608年、遣隋使小野妹子に従い隋へ渡り、24年間にわたり同地で仏教のほか易学を学び、632年帰国しました。

僧旻がいう「天狗」とは、もちろん猿田彦とは無関係です。

ここでは、天狐のことを指します。

狐は千年生きれば天狐になると伝えられています。

いわゆる九尾の神獣となるわけです。
  1. 2014/08/24(日) 03:57:34|
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聖神社(その三百五十七)

9年春2月23日、大きな星が東から西に流れ、雷に似た大きな音がしました。

人々は「流れ星の音だ。」あるいは「地雷(ちのいかずち)だ。」と言いました。

僧旻は「これは流れ星ではない。天狗(あまつきつね)である。その吠える声が雷に似ているだけだ。」と言いました。

  1. 2014/08/24(日) 02:25:29|
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聖神社(その三百五十六)

猿田彦といえば、その風貌から自然と天狗が連想されます。

ところで、わが国における天狗の初見は、日本書紀の舒明天皇9年(637)の条です。

舒明天皇九年春二月丙辰朔戊寅、大星、從東流西、便有音似雷。時人曰流星之音、亦曰地雷。於是、僧旻僧曰「非流星。是天狗也。其吠聲似雷耳。」
  1. 2014/08/23(土) 07:34:49|
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聖神社(その三百五十五)

猿田彦命は伊勢の阿邪訶の海で漁をなさっていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死にされます。

この際、猿田彦命が海に沈んでいる時に「底どく御魂」、吐いた息の泡が昇る時に「つぶたつ御魂」、泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」という三柱の神が生まれました。

引退された伊勢の太陽神は、太陽が海に没するがごとく、永久に海中に沈まれたわけです。

因みに、阿邪訶は、旧三重県一志郡阿坂村、現松阪市が比定されています。
  1. 2014/08/23(土) 05:16:13|
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聖神社(その三百五十四)

その後の猿田彦の動静については、古事記に次の記述があります。

『故、その猿田彦神、阿邪訶(あざか)にます時、漁して、比良夫貝にその手を喰ひ合さえて、海塩に沈み溺れたまひき。故、その底に沈みいたまひし時の名を、底どく御魂と言ひ、その海水のつぶたつ時の名を、つぶたつ御魂と言ひ、そのあわさく時の名を、あわさく御魂と言ふ。』

故其猨田毘古神、坐阿邪訶此三字以音、地名時、爲漁而、於比良夫貝自比至夫以音其手見咋合而、沈溺海鹽。故其沈居底之時名、謂底度久御魂度久二字以音、其海水之都夫多都時名、謂都夫多都御魂自都下四字以音、其阿和佐久時名、謂阿和佐久御魂。自阿至久以音。
  1. 2014/08/22(金) 04:27:35|
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聖神社(その三百五十三)

伊勢・志摩方面の海人族が、独自の太陽神を奉じていたとしても驚くべきことではありません。

現に、彼自らも「大神」と称しています。

とすると、この説話は、葦原中国の太陽神が高天原の太陽神に恭順の意を表した事実を暗示していることになります。

すなわち、猿田彦は太陽神である地位を天照大神の皇孫に譲り渡し、自らは天鈿女に伴われて伊勢・五十鈴川の川上に引き籠ったということになります。
  1. 2014/08/22(金) 01:09:44|
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聖神社(その三百五十二)

前掲した松前博士は、猿田彦は伊勢・志摩地方の海人の男性の太陽神だと説かれています。

確かに、この神はアメノヤチマタにおいて、「上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす神」として日本書紀に描かれています。

さらに、その容姿は、「口尻明く輝り、眼は八咫鏡のごとくして、赩然ること、赤かがちに似たり」と語られています。

博士は、これはもともと原始的な太陽神であったと思われると述べられています。
  1. 2014/08/21(木) 08:13:19|
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聖神社(その三百五十一)

そもそも神は、人から拝すれば、そのお姿は目には見えない、お声は聞こえない遠い存在です。

人は巫女を通じて、神のご意志を知るだけです。

そのような関係であれば、人が神の素性を探るなどは僭越至極の行為です。

しかし、神様同士の間柄でも、相手の出所を知ることは禁忌とされていたのでしょうか。

もし、それが当然のタブ-であったとすれば、それを破った天宇受賣は、掟破りの代償として猨田毘古之神に仕えなければならなかったのでしょう。
  1. 2014/08/21(木) 00:00:03|
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聖神社(その三百五十)

もっとも、古事記によると、天宇受賣命は邇邇藝命の命令により、猨田毘古大神を送っていったことになっています。

故爾詔天宇受賣命「此立御前所仕奉、猨田毘古大神者、專所顯申之汝、送奉。亦其神御名者、汝負仕奉。」是以、猨女君等、負其猨田毘古之男神名而、女呼猨女君之事是也。


この場合も、猨田毘古大神の素性が発現したのは、汝が頼んだからだというのが、その理由となっています。
おまけに、名前まで貰って仕えろという厳しいお達しです。
  1. 2014/08/20(水) 04:12:55|
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聖神社(その三百四十九)

猿田彦の返答の真意も読み取れません。

「發顯我者汝也。故汝可以送我而致之矣。」

「わたしの出所をあらわにしたのは貴女だから、貴女はわたしを送っていってください。」

私が素性を明かした以上、その「秘密」を守るため、貴女は私を送ってきて、一緒に住んでもらわねばならない、という意味合いでしょうか。

それとも、天鈿女の性的な所作に惑わされて、おもわず求婚してしまったということですかね。

記紀では触れられていませんが、民間の伝承によると、二神は婚姻したことになっています。
  1. 2014/08/20(水) 00:00:44|
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聖神社(その三百四十八)

「敢問之。」が気になります。

通常、「敢えて」とは、やりにくいことを押しきってするさまを意味します。

しかし、天鈿女は不審な神を尋問するためにやってきたのですから、聞きにくいことを敢えて聞いたわけではありません。

彼女は、その神が猿田彦であることを知っているにもかかわらず、役目柄敢えて問い質したのかもしれません。
  1. 2014/08/19(火) 08:27:35|
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聖神社(その三百四十七)

一方、天鈿女の方はどうだったのでしょうか。

彼女は、高飛車に問いかけています。

對曰「天照大神之子所幸道路、有如此居之者誰也、敢問之。」

答えていわれるのに、「天照大神の御子がおいでになる道にこのようにいるのは、一体誰なのか。あえて問う。」
  1. 2014/08/19(火) 06:23:02|
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聖神社(その三百四十六)

ところで、猿田彦と天鈿女が、「同郷」であるとすれば、互いに面識があっても不思議ではありません。

現に、猿田彦は、初対面であるはずの女神に、「天鈿女よ。貴女がこんな風にされるのは、なぜですか。」と問いかけています。

猿田彦には、天鈿女の顔に見覚えがあったのでしょうね。

衢神問曰「天鈿女、汝爲之何故耶。」
  1. 2014/08/18(月) 19:15:04|
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聖神社(その三百四十五)

アメノウズメが海人族の女神であるのであれば、胸乳の露出も頷けないこともありません。

大正のころまでは、海女の服装は上半身裸姿で、腰には木綿の布を巻き付けるか、またはサルマタを履いていました。

魏志倭人伝には、「男子は大小と無く、皆黥面文身す。・・・今、 倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。文身は亦以て大魚・水禽を厭う。後やや以て飾りとなす。」とあり、また別の段では、「好んで漁鰒(ぎょふく)を捕らえるに、水深浅となく、皆沈没して之を取る。」と記されています。

ここには、北九州地区を本拠地とした阿曇系の海人族の生活ぶりが描写されています。
  1. 2014/08/18(月) 00:00:50|
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聖神社(その三百四十四)

さらには、アメノウズメも、もと伊勢・志摩地方の海人族の奉じる神であった、とされています。

伊勢・志摩地方の海人族といえば、 阿曇系の海人集団です。

北九州海域を根拠地としていたものが、瀬戸内海へ進み、さらに鳴門海峡を出て紀伊半島沿岸を回り,深く伊勢湾に入り込んだ航海と漁労に長けた一族です。
  1. 2014/08/17(日) 03:23:01|
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聖神社(その三百四十三)

日本神話学研究の第一人者である松前健博士は、もともと伊勢地方にあった天降り伝承が混入したのではないか、と述べられています(日本神話の謎・大和書房)。

博士は、天孫降臨の随伴の神の中にも、伊勢系の神がすくなくないと指摘されています。

例えば、「伊勢内宮の相殿のタチカラオや、外宮の祭神であるトヨウケ、天孫を出迎える伊勢の神サルダビコ」がいることは、これを示しているとされています。
  1. 2014/08/17(日) 00:49:06|
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