案山子のダンス

戯れに、小説など。照れますな。

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聖神社(その三百十)

前掲した「寛和元年四月十九日条 十九日、癸巳、朝雨、以(安倍)晴儀式の明為女房令解除、産期漸過可在去今月、而無其気色」の小右記の記事についてですが、「而無其気色」の部分を晴明の解除の儀式の効果がなかったと訳している向きもあります。

しかし、それはどうですかねぇ。

文脈や構文上からも難がありますし、いくら日記とはいえ晴明に対して大失礼な事柄をわざわざ書き残しますかねぇ。
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  1. 2014/07/31(木) 22:19:19|
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聖神社(その三百九)

ところで、『本朝世紀』の寛和二年(986) 2月16日の条に、「晴明、天文博士。正五位下。太政官正庁内の蛇を占い攮法を修する 」とあるそうですから、晴明の昇階も久方ぶりなものだったのでしょう。

わざわざやってきて、自慢したくなるのも無理はありません。

晩年を迎えた晴明の無邪気さは微笑ましくなります。
  1. 2014/07/31(木) 09:45:09|
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聖神社(その三百八)

正暦4(993)年2月3日、實資の屋敷に晴明がやってまいりました。

實資が、晴明の位が昇進したことに触れ、その説明を求めました。

晴明が申しますには、「主上(一条天皇)がにわかにご病気になられて、宮中からのご指示によって身を清め、主上のご病気が治まるように御禊の奉仕しておりましたところ、すぐにその験があらわれましたので、一つ位階を上げていただき、正五位上になりました」とのことでした。
  1. 2014/07/30(水) 02:24:11|
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聖神社(その三百七)

『小右記』正暦四年二月三日条には、『晴明依御祈験加階事』が記されています。

すなわち、「三日、辛酉、晴明朝臣来、觸加級之由、令問案内、答云、主上俄有御悩、依仰奉仕御禊、忽有其験、仍加一階正五位上、者」とあります。
  1. 2014/07/30(水) 01:27:13|
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聖神社(その三百六)

それにしても、反閇に悪い方角を踏み破る意味があるというのであれば、「申時渡二條、以晴明朝臣令反閇」という条は、「申時二条第に赴く際に、晴明に命じて反閇を奉仕させた」と訳すのが正しいのかもしれません。

小右記は、漢文の体をした文章ですが、実際は和風の変体漢文ですから読みにくいところがあります。
  1. 2014/07/29(火) 15:12:06|
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聖神社(その三百五)

反閉(へんばい)とは、場の邪気を祓い、気を鎮め整える呪術的な歩行術・作法全般を指すとされています。

世界大百科事典 第2版の解説.には、「陰陽師が邪気を払い除くため呪文を唱え大地を踏みしめ,千鳥足に歩む呪法。三足,五足,九足などさまざまの種類がある。

平安朝以来天皇・将軍など貴族の外出にあたって多く行われ,悪い方角を踏み破る意味があるという。」と記されています。
  1. 2014/07/29(火) 00:00:32|
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聖神社(その三百四)

『小右記』永延元年三月廿一日条には、
 「廿一日、癸未、早朝罷出、申時渡二條、以晴明朝臣令反閇」の記載があります。

 早朝に内裏を退出し、午後4時ころに二条の邸に赴きました。
そこで、晴明に命じて反閉の術を行わせました。
  1. 2014/07/28(月) 01:33:40|
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聖神社(その三百三)

ところが、『小右記』によると、その前日の18日 賀茂光栄が實資に召されて、女房のお産のための解除を行っています。

光栄、といえば陰陽頭賀茂保憲の子です。

父保憲は暦,天文両職を分かち,暦道を子の光栄に、天文道を弟子安倍晴明に伝え,光栄・晴明ともに当代一流の陰陽師となりました。

両者はライバル関係にありましたが、實資はこの二人を共に招いて、解除の奉仕をさせたことになります。

よほど念を入れたのでしょうか。
  1. 2014/07/28(月) 00:00:50|
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聖神社(その三百二)

女房(にょうぼう)とは朝廷や貴顕の人々に仕えた奥向きの女性使用人のことですが、ここでは實資の側室であった女性のことでしょう。

また、解除(げじょ)とは、陰陽道では不祥・邪気などを退けるための行事を意味します。

つまり、出産が遅れているのは、何かの邪気の所為だと思われていたのでしょう。
  1. 2014/07/27(日) 04:12:36|
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聖神社(その三百一)

『小右記』寛和元年四月十九日の条に、次のような記述があります。

 十九日、癸巳、朝雨、以晴明為女房令解除、産期漸過可在去今月、而無其気色

朝方は雨でした。實資に呼ばれた晴明は彼の女房のために「解除」を行いました。

女房の出産時期が今月にも過ぎるというのに、一向にその気配がありませんでした。
  1. 2014/07/27(日) 03:32:39|
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聖神社(その三百)

『扶桑略記』の推古天皇33年(625年)の条には、高麗僧の恵灌に命じて雨乞いの儀式を行わせたという記述があります。

これがわが国の雨乞いの文献上の初見です。

卅三年乙酉。天下旱魃。以高麗僧惠灌。令下着青衣
講讀三論上。甘雨己降。
仍賞任僧正。住元興寺。流布三論法門。建井上寺。
  1. 2014/07/26(土) 01:22:49|
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聖神社(その二百九十九)

五龍祭執行により夜から大雨が降る

十四日、丙申。終日陰る。時々微雨下る。夜に入りて、大雨有り。右頭中将、仰せて云はく、晴明朝臣、五龍祭を奉仕するに、感有り、被物を賜ふ、と云(々)。

早く賜ふべきなり。

雷声小さきなり。


寛弘元年7月14日
 
一日中曇りであり、時々小雨が降った。夜になると大雨になった。右近衛中将兼蔵人頭藤原実成が言うのには、「晴明が

五龍を敬う祭りに奉仕した。すると、反応があり、「お供え物を供えください。それも早くすべきです。」と晴明が言った。

(そのとおりにすると、)雷鳴は小さくなった。
  1. 2014/07/26(土) 00:00:52|
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聖神社(その二百九十八)

『御堂関白記』寛弘元年七月十四日条には、「十四日、丙申、終日陰、時々微雨下、入夜有大雨、右頭中将仰云、晴明朝臣奉仕五龍祭、有感、賜被物云々、早可賜也、雷聲小也。」とあります。

ここでいう右頭中将とは、藤原實成のことです。

實成は、長徳四年( 998)に右近衛中将、長保六年(1004)には蔵人頭に、それぞれ任ぜられています。

なお、五龍祭とは、平安時代に水神である五龍を祈願、祈祷した祭です。

つまり、青龍、赤龍、黄龍、白龍、黒龍の五龍に雨乞いの祈願をしたわけです。
  1. 2014/07/25(金) 10:03:20|
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聖神社(その二百九十七)

これまで、説話集や物語の中の晴明像を探ってきましたが、ここで歴史資料の中に記された晴明の業績に触れてみたいと思います。

晴明と同時代に書かれた資料には、「御堂関白記」や「小右記」などがあります。

御堂関白記は藤原道長の日記で、小右記は藤原実資(さねすけ)の日記です。

『御堂関白記』には11回、『小右記』には16回「晴明」の名前が出てきます。
  1. 2014/07/25(金) 07:21:18|
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聖神社(その二百九十六)

大鏡のこのエピソ-ドは、天文学者である晴明の一面をよく表しています。

ところで、晴明は政治的にも実に巧妙に立ち回っています。

本来なら、天変が6月22日の夜起こることをまず花山天皇に奏上すべきところ,これに先立って藤原兼家・道兼父子に密告していたのです。

藤原父子が狂喜したことは想像に難くありません。

彼らは花山天皇に退位を強くお勧めしました。

帝も星のお告げなら致し方ない、と観念されたのでしょう。

花山天皇譲位事件は、権力をねらう藤原一族の企みに、若い天皇がまんまと謀られたという一面が強いものですが、その裏には晴明の策謀も隠されていたようです。
  1. 2014/07/24(木) 08:12:36|
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聖神社(その二百九十五)

こうして、道兼が、内裏から東に向かって、帝をお連れ出し申した時、安部晴明の家の前をお通りになられたところ、屋敷内から晴明の声が聞こえてまいりました。

晴明は、激しく手を打ち、「帝が退位されると見える天変があったが、すでに退位なされたようだ。参内し奏上いたそう。車の支度をなせ。」という声を、花山帝は、お聞きになられたのであろうか。それはそれとしても。帝は胸をお打たれになったことでしょう。

晴明が、「まずは、式神一人内裏に参上せよ」と命じたところ、人の目に見えぬものが戸を押し開けて、帝の後ろ姿を見たのでしょうか、「ただ今、帝はここを過ぎていかれたようです」と答えたそうです。

晴明の家は、土御門の町口だったので、通り道だったのです
  1. 2014/07/24(木) 00:00:53|
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聖神社(その二百九十四)

 さて、土御門(つちみかど)より東(ひんがし)ざまに率(ゐ)て出(い)だしまゐらせたまふに、晴明(せいめい)が家の前をわたらせたまへば、みづからの声にて、手をおびたたしく、はたはたと打ちて、「帝王(みかど)おりさせたまふと見ゆる天変(てんぺん)ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。まゐりて奏(そう)せむ。車に装束(そうぞく)とうせよ」といふ声聞かせたまひけむ、さりともあはれには思し召しけむかし。「且(かつがつ)、式神一人内裏(だいり)にまゐれ」と申しければ、目には見えぬものの、戸をおしあけて、御後(うしろ)をや見まゐらせけむ、「ただ今、これより過ぎさせおはしますめり」といらへけりとかや。その家、土御門町口(まちぐち)なれば、御道なりけり。
  1. 2014/07/23(水) 01:00:00|
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聖神社(その二百九十三)

大鏡は、藤原兼家が、外孫の懐仁親王(後の一条天皇)を即位させるために陰謀を巡らしたことを伝えています。

兼家は、蔵人として仕えていた三男道兼を使って花山天皇を誑かします。

道兼は、悲しみにくれる天皇に取り入り、一緒に出家しようと唆し、内裏から元慶寺(花山寺)に連れ出そうとします。

そして、丁度、晴明の屋敷の前に差し掛かった時に、晴明の声が聞こえました。
  1. 2014/07/23(水) 00:00:44|
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聖神社(その二百九十二)

ところが、この天皇はわずか2年で退位されます。

それも19歳という異例の若さです。

寛和2年(986年)6月22日、密かに宮中を脱出した花山帝は、剃髪して仏門に入り退位されました。

この突然の出家の原因は、一般に寵愛した女御藤原忯子が妊娠中に亡くなったこととされていますが、「大鏡」の記述に従うと、藤原兼家の陰謀に嵌められた結果だということになります。
  1. 2014/07/22(火) 01:06:03|
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聖神社(その二百九十一)

鐵輪における晴明の活躍ぶりは期待したほどのものではありませんでした。

三十番神のご活躍により、執念の鬼女を撃退したにとどまります。

ところが、「大鏡」に登場する晴明は。まるで別人のように冴えています。

後の花山帝は、安和2年(969年)、叔父円融天皇の即位と共に皇太子になられました。

そして、永観2年(984年)、同帝の譲位を受けて即位されます。

第六十五代花山天皇です。
  1. 2014/07/22(火) 00:00:36|
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聖神社(その二百九十)

鐵輪では、嫉妬と復讐心に顔を歪める女性の能面「橋姫」が使用されます。

額に深く刻まれた縦皺。

血走り目尻の吊り上がった三白眼。

広く開いた鼻翼の大きな鼻筋。

左右に裂けた薄い唇の間からは金箔に彩られた上下の歯並びがのぞいています。

何よりも不気味なのは、広い額と左右に大きく張った頬骨の当たりにこびり付いた毛筋のすさまじさです。

神通力を備えた鬼女の生霊をまざまざと彷彿させる能面の傑作です。
  1. 2014/07/21(月) 01:00:42|
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聖神社(その二百八十九)

ああ腹立しや。恋しい夫の命を取ることもできず、あまつさえ神々のお責めを受けることとなるとは。 神々のお力により、悪鬼の神通力の勢いも絶えて、力も弱弱しくなってきた。

足弱車の進がごとく、足も弱り、よろよろとするばかりだ。

仕方がない、また逢うべき時節を待つことにして、先ずこの度は、引き上げることにしょう。

と言う声だけがはっきりと聞こえましたが、 それも声だけで、姿は目にも見えず消え失せてしまったのです。
  1. 2014/07/21(月) 00:00:44|
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聖神社(その二百八十八)

足弱車とは、歩みの弱い車のことです。

つまり、足弱の牛が引く、とぼとぼとした歩みの車のことです。

能の「清経」にも「一門は気を失ひ力を落として、足弱車のすごすごと」とあります。

また、「車僧」には、「不思議やなこの車の。不思議やなこの車の。ゆるぎ巡りて今までは。足弱車と見えつるが。牛も無く人も引かぬに。易す易すと遣りかけて飛ぶ。車とぞなりたりける。」という描写があります。
  1. 2014/07/20(日) 06:44:21|
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聖神社(その二百八十七)

前夫の人形に向かって、鬼女が申します。

「特に恨めしいのはこの人だ。」

やおら人形の寝ている枕元に近寄ってみると、恐ろしいことに祭壇の御幣のもとに、三十番神がお出ましになっておられます。

そして、「魍魎鬼神が来るとは穢らわしい、早く出て行け」とお責めにな.るではありませんか。
  1. 2014/07/20(日) 05:40:42|
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聖神社(その二百八十六)

三十番神とは、日本全国の神が、一ヶ月三十日間。毎日交代で仏教守護をおこなうという思想による三十柱の善神のこととされています。

もちろん、神仏習合の賜物ですが、最澄が比叡山に祀ったのが最初といわれています。

熱田大明神から吉備大明神までの三十柱の中には、例の貴船大明神もお顔を出されているのは、橋姫の件に限っては少々奇妙な気もしないでもありません。
  1. 2014/07/19(土) 01:00:36|
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聖神社(その二百八十五)

いよいよ、クライマックスです。

シテ「ことさら恨めしき。

地「ことさら恨めしき。あだし男を取つて行かんと。臥したる枕に立ち寄り見れば。恐ろしや御幣に。三十番神まし/\て。魍魎鬼神は穢らはしや。出でよ/\と責め給ふぞや。腹立や思ふ夫をば。取らであまさへ神々の。責を蒙る悪鬼の神通通力自在の勢絶えて。力もたよ/\と。足弱車の廻り逢ふべき時節を待つべしや。まづこの度は帰るべしと。いふ声ばかりはさだかに聞えていふ声ばかり聞えて姿は目に見えぬ鬼とぞなりにける目に見えぬ鬼となりにけり。
  1. 2014/07/19(土) 00:00:38|
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聖神社(その二百八十四)

 修羅場の始まりです。

いわんや、この長い年月、悲しい思いに沈んで恨みの数も積り、 執心の鬼となるのは理だ。

さぁさぁ命を取ってしまおう。

さぁ、命を取ろうと言って、杖を振り上げ後妻の人形の髪を手にからめて打ち付けます。

夢か現かも分からないこの世の中で、因果は廻ってきたのだ。

今になって悔しい思いをするのだろう。

さぁ、懲りたか、思い知るがいい。
  1. 2014/07/18(金) 09:09:06|
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聖神社(その二百八十三)

「悪しかれと。思はぬ山の峰にだに。人のなげきはおふなるに」

この歌は、源氏物語にも引歌されています。

本歌は、和泉式部の

「男をうらみて
  あしかれとおもはぬ山の峰にだにおふなるものを人のなげきは」だといわれています。

悪いやつだと思ってもいない山の峰にさえ人の嘆き(木)は生えると言いうのに。
  1. 2014/07/18(金) 00:00:00|
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聖神社(その二百八十二)

地「悪しかれと。思はぬ山の峰にだに。思はぬ山の峰にだに。人のなげきはおふなるに。いはんや年月。思にしづむ恨の数。積つて執心の鬼となるも理や。

シテ「いで/\命を取らん。

地「いで/\命を取らんと。しもとを振り上げうはなりの。髪を手にからまいて。打つやうつの山の。夢現とも。分かざるうき世に。因果はめぐりあひたり。今さらさこそくやしかるらめ。さて懲りや思ひ知れ。

シテ「ことさら恨めしき
  1. 2014/07/17(木) 01:00:01|
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聖神社(その二百八十一)

あなたを恨み 、ある時は恋しくて。 またある時は恨めしく。 寝ても覚めても忘れられない苦しい思いをして参ったのです。

その因果を、今こそ知るがよかろう。

あなたの命の消えるのは今宵のこと。お気の毒とは思うけれども。



揺れ動く女心の切なさが垣間見られます。
  1. 2014/07/17(木) 00:21:41|
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