案山子のダンス

戯れに、小説など。照れますな。

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聖神社(その四)

では、聖神の父神である大年神とは、どのような神様なのでしょうか。

「年」とは、稲の実りのことを指しますから、穀物神であることが分かります。

朝日日本歴史人物事典は、「日本神話に登場する神。「とし」は,もともと穀物などの実り,収穫を意味したが,その収穫に1年を要するところから年を意味するようになった。よってこの神名は本来,豊かな実りをもたらす神の意。『古事記』には,須佐之男命と神大市比売との間に生まれ、また伊怒比売,香用比売などの女神との間に多くの子をもうけた神と伝える。生まれたすぐあとに,穀物神である宇迦之御魂神が生まれていることや,この神の子として御年神が生まれていることなどに,穀物神としての性格がよく表れている。『山城国風土記』逸文に,大歳御祖命,大歳神などがみえるが,大年神と同一の神だろう。」と述べています。

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  1. 2014/02/28(金) 01:29:27|
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聖神社(その三)

信太首とは、その名が和泉国和泉郡信太郷の地名由来であることはいうまでもありません。

ところで、当社の主祭神は、「聖大神(ひじりのおおかみ)」です。

聖大神は『古事記』には「聖神」として登場されます。

故其大年神。娶神活須毘神之女伊怒比賣生子。大國御魂神。次韓神。次曾富理神。次白日神。次聖神。

さて、かの大年神が神活須毘神の女の伊怒比賣を妻としてなされた子は、大國御魂神、次に韓神。次に曾富理神、次に白日神、次に聖神である

  1. 2014/02/28(金) 00:38:59|
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聖神社(その二)

由緒書には、「 当社の創建は白鳳三年秋八月十五日で、永く国家鎮護の神として、信太首が斎き祀っ たものであり、信太聖神、又は信太明神とも云う。
霊亀二年河内国を分けて、和泉の国を置かれた時、和泉五社大明神の内第三位に列 せられた。」とあります。

新撰姓氏録によると、信太首は百済系の渡来氏族です。

和泉国 諸蕃 百済 信太首 首   百済国人百千之後也

百千(はくち)とは何者かはっきりしたことは分かりません。

もっとも、日本書紀神功62年の条で、「百済記」を引用した部分に、「児百久至(このはくくち)」なる名の人物が見えます。

壬午年に倭が加羅国に攻めた際に、加羅国王己本旱岐らと共に人民を率いて百済に逃亡しました。

百千とは何かの関わりがある人物なのでしょうか。
  1. 2014/02/27(木) 01:40:44|
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聖神社(その一)

和泉市王子町に「聖神社」というお名前の古社が鎮座されています。

和泉五社の一つで、和泉国三宮です。

社格は、式内小社であり、旧府社です。

延喜式神名帳には、「聖神社、ヒシリノ、小、鍬」とあります。

創建は白鳳3年、信太首が斎き祀ったとされています。
  1. 2014/02/27(木) 00:00:38|
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蜂田神社(その百十九)

そもそも、天神信仰とは、天神(雷神)に対する信仰のことです。

天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではありませんでした。

しかし、道真公の神霊が火雷天神と呼ばれるようになったことから、それが本来の雷神信仰に結び付けられ、道真公の神

霊信仰もまた天神信仰と称されるようになったといわれています。

その結果、従来の天神社のご祭神がいつの間にか道真公に代わっていたという例も少なくはなかったのでしょう。

我らが御先祖様の融通無碍さにはある種の畏怖すら覚えます。
  1. 2014/02/26(水) 01:44:19|
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蜂田神社(その百十八)

蜂田神社と泉穴師神社は、共通のご祭神天富貴命を通じて、何かのご縁があったのでしょうか。

今後の研究が待たれます。

それはともかく、そもそも天神社なるものは、天神(あまつかみ)をお祀りする社です。

天神とは、高天原に座す神と降臨された神、およびその子孫を指す言葉です。

もっとも、この範疇に関しては諸説があるといわれています。

したがって、菅原道真公の天神とは、その意味が違います。
  1. 2014/02/26(水) 00:11:30|
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蜂田神社(その百十七)

当社から少し離れた泉大津市豊中には、泉穴師神社が鎮座されています。

泉穴師神社は、式内社で和泉五社の一とされています。

また、泉州二の宮でもあります。

この神社には、天富貴神がお祀りされています。

新撰姓氏禄には、「和泉国神別  穴師神主  天富貴命五世孫 古佐麻豆智命之後也」
との記載があります。

系図は、高皇産霊命─天太玉命─天櫛耳命(弟天鈿女命[猿女祖])─天富命─弥麻爾支命(妹飯長姫命)─和謌富奴命─佐久耳命─阿加佐古命─玉久志古命(弟古佐豆知命[和泉穴師神主家]となります。
  1. 2014/02/25(火) 01:36:21|
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蜂田神社(その百十六)


天富貴命(天富命)とは、天太玉命の孫に当たる方です。

「デジタル版 日本人名大辞典」によれば、「太玉命(ふとだまのみこと)の孫。神武天皇のため橿原(かしはら)の御殿をつくったという。また斎部(忌部)(いんべ)をひきいて神宝の鏡,玉,矛(ほこ),盾(たて),木綿(ゆう),麻をつくらせた。はじめ阿波(あわ),ついで安房(あわ)に移住。麻をうえ,太玉命の社をたてたといわれる。」とあります。

天太玉命孫天富貴命一位向調斎部諸氏人等率而以ニ斎斧↓山間. 之材切。以二斎姐 一橿原之地堀而下津磐根宮柱太敷立。高天原千. 木高知。皇御孫命瑞御舎造奉レ仕。 天富貴命天璽鏡剣持捧正肢奉レ. 安。又八尺理御吹玉御須丸懸。幣物積置。天太玉命孫天富貴命一位向調斎部諸氏人等率而以ニ斎斧↓山間. 之材切。以二斎姐 一橿原之地堀而下津磐根宮柱太敷立。高天原千. 木高知。皇御孫命瑞御舎造奉レ仕。 天富貴命天璽鏡剣持捧正肢奉レ. 安。又八尺理御吹玉御須丸懸。幣物積置。
  1. 2014/02/25(火) 00:35:06|
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蜂田神社(その百十五)

土鈴は蜂田神社の宮司一家の手作りだそうです。

粘土型に入れて鈴の形に整えられたものは、敷地内の登り窯で焼き上げられます。

二度焼きによって、高く澄んだ鈴の音が出るようになるのだそうです。

なお、「和泉名所図会 巻2-35 蜂田神社 」によると、「今、天神と称して氏神とす。 」とあります。

この場合の天神とは、菅原道真公ではなく、「天富貴命」をお祀りしていたのだという説があります。
  1. 2014/02/24(月) 01:48:22|
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蜂田神社(その百十四)

ここで、神社合祀令関係の記述からひとまず外れます

なお、熊楠の手紙文は、「神社合祀に関する意見(口語訳)インデックス」から引用させていただきました。
http://www.minakatella.net/letters/gosiiken0.html

「全国神社祭祀祭礼総合調査」の「泉州鈴之宮蜂田神社略記」によれば、「当神社を鈴の宮と呼ぶことの起こりは、毎年節分に当たり鈴占い神事として古式により祭典執行のことあればなり。この神事は今より一千百余年の昔、蜂田連なる人土焼の鈴十二個を作り、毎年の春の初めに神前へ献りその音の善し悪しによりてその年の吉凶を占い給いし古伝によれるものなり。近年は神域の清き土を以て十二種の占鈴の外開運厄除の御守鈴を作り神前に献供して祈願をこめ一般参拝者の乞いにより授与のこととせり。当社においては古来神事に使用したる土鈴、撤下後鈴塚に埋蔵し来たりしを、昭和四年以来このことを止め節分当日参拝者へ抽選を以て頒つこととせり。現今にては当社授与の土鈴のうち破損したるを返納される向き多くなりたるにより、この分毎年12月8日修祓を行ないて埋蔵するを例とせり。」とあります。
  1. 2014/02/24(月) 00:58:44|
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蜂田神社(その百十三)

神社整理の動きは、明治43年4月に至ってようやく終息を迎えます。

和歌山県においても、未合祀社の存続を認めるに至りました。明治44年7月のことです。

明治42年 9月より始まった反対運動が功を奏したといえます。

この運動のリーダーは、既出の南方熊楠や民俗学者柳田国男らです。

神社整理は、勅令によるもので、その推進は府県知事の裁量に委ねられました。

それが、府県による大きな差を生み出しました。

和歌山県においては、神社の減少率は87%に及びましたが、京都府においては、その減少率は僅かに11%に留まりました。

大阪府においても、神社整理は強行され、減少率64%に達しました。

特に和泉地方での強硬ぶりは甚だしかったようです。
  1. 2014/02/23(日) 01:02:06|
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蜂田神社(その百十二)

熊楠は、次のように記しています。

「むかし孔子は、兵も食も止むを得ずんば捨つべし。信は捨つべからず、民信なくんば立たず、と言い、恵心僧都は、大和の神巫(みこ)に、慈悲と正直と、止むを得ずんばいずれを棄つべきと問いしに、万止むを得ずんば慈悲を捨てよ、おのれ一人慈悲ならずとも、他に慈悲を行なう力ある人よくこれをなさん、正直を捨つる時は何ごとも成らず、と託宣ありしという。俗にも正直の頭に神宿ると言い伝う。

 しかるに今、国民元気道義の根源たる神社を合廃するに、かかる軽率無謀の輩をして、合祀を好まざる諸民を、あるいは脅迫し、あるいは詐誘して請願書に調印せしめ、政府へはこれ人民が悦んで合祀を請願する款状(かんじょう)なりと欺き届け、人民へは汝らこの調印したればこそ刑罰を免るるなれと偽言する。かく上下を一挙に欺騙する官公吏を、あるいは褒賞し、あるいは旌表(せいひょう)するこそ心得ね。さて一町村に一社と指定さるる神社とては、なるべく郡役所、町村役場に接近せる社、もしくは伐るべき樹木少なき神社を選定せるものにて、由緒も地勢も民情も信仰も一切問わず、玉石混淆、人心恐々たり。」
  1. 2014/02/23(日) 00:00:39|
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蜂田神社(その百十一)

ウォルフィアは、別名コナウキクサ。

ミジンコウキグサ属の一種です。

分布は関東以西です。

浮遊植物で、多年草です。

最小の顕花植物で、花の直径は0.6ミリ。

栄養塩濃度の高い水域を好み、濃度が低いとすぐに休眠芽を形成して、底に沈んでしまう性癖があります。

花期は7-10月ですが、開花率は極めて低いとされています。
  1. 2014/02/22(土) 01:38:48|
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蜂田神社(その百十)

熊楠は、「またわが国の神林には、その地固有の天然林を千年数百年来残存したものが多い。これに加えるに、その地に珍しき諸植物は毎度毎度神に献ずるとして植え加えられたので、珍草木を存することが多く、偉大な老樹や土地に特有の珍生物は必ず多く神林神池に存するのだ。」と述べています。

熊楠が,帰朝後の人生を、粘菌類の研究に捧げたことは有名な史実です。

彼は言います。

「熊楠は帰朝後十二年紀州におり、ずいぶん少なからぬ私財を投じ、主として顕微鏡的の微細植物を集めたが、合祀のため現品が年々滅絶して生きたまま研究を続けることができない。空しく図画と解説の不十分なものだけが残存している。ウォルフィアというのは顕花植物の最微なものであるが、台湾で洋人が採ったと聞くだけである。」
  1. 2014/02/22(土) 00:11:01|
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蜂田神社(その百九)

ナンカクランは、山地の湿度の高い林内の樹幹や岩上に着生し、下垂または斜上する常緑性シダ植物です。

その分布は伊豆諸島・紀伊半島以南です。

ナンカクランは、山地の湿度の高い林内の樹幹や岩上に着生し、下垂または斜上する常緑性シダ植物です。

その分布は伊豆諸島・紀伊半島以南です。

また、ガンゼキランは、単子葉植物ラン科に属する多年草で、常緑樹林内の地上に生える地性ランです。

流石が、博覧強記の生物学者・熊楠です。

細かいシダ類とか地性ラン等に配慮が及んでいます。
  1. 2014/02/21(金) 01:27:59|
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蜂田神社(その百八)

バクチノキとは、奇妙なネーミングです。

この木は、関東地方以西の本州・四国・九州・琉球に分布する高さが10mを超える常緑高木です。

バクチノキは樹皮が鱗片状にはがれ落ち、その跡が紅黄色のまだら紋様となります。

その様が、博打に負けて身包み剥がれた様子に例えられたといわれています。

三重県北牟婁郡紀北町紀伊長島区三浦の豊浦神社の境内には、樹高33m・胸高周囲3.02m のバクチノキの巨木が残っています。

県天然記念物(昭和38年)に指定されている同社の社叢には、幹周り約10mのクスノキの巨樹や、タブノキ、カゴノキ、ヤマトタチバナなどの暖地性樹木が茂っています。
  1. 2014/02/21(金) 00:33:23|
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蜂田神社(その百七)

熊楠は、ツグノキ等の半熱帯産の樹木が絶えるのでは、と憂いています。

「ツグノキ、バクチノキなどは半熱帯地の木で、田辺付近の神林にだけ多かったが、合祀のため今わずかに一、二株を存す。熊野の名産ナンカクラン、ガンゼキランその他希珍の托生蘭類も多く合祀で絶える。ワンジュ、キシュウスゲなど世界有数の珍しいものも、合祀で全滅しようとするのをわずかに有志の注意で止めている。タニワタリ、カラタチバナ、マツバランなど多様の園芸植物の原産も合祀で多く絶えようとしている。」

ツグノキは、別名ホルトノキと呼ばれています。

暖帯~亜熱帯の照葉樹林にみられ常緑樹で、日本では、本州の千葉県南部以西、四国、九州、沖縄、済州島、中国南部、台湾、等に分布しています。

社寺の境内などでは、巨木として残っています。

この樹木は、その名の由来として奇妙なエピソ-ドが残されています。

「ホルトノキ」とはポルトガルの木という意味で、本来はオリーブの木に付けられていたものです。

とこころが、江戸時代に平賀源内が今の和歌山県でこの木を見て、オリーブの木と思いこみ、間違って名付けてしまったといわれています。
  1. 2014/02/20(木) 01:26:45|
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蜂田神社(その百六)

熊楠は、多くの植物が神社合祀に依り絶えようとすることを嘆いています。

「オガタマノキは、神道に古く因縁深い木であるが、九州に自生している箇所があるというが、その他に大木あるのは紀州の社地だけである。合祀のため著しく減じた。ツグノキ、バクチノキなどは半熱帯地の木で、田辺付近の神林にだけ多かったが、合祀のため今わずかに一、二株を存す。熊野の名産ナンカクラン、ガンゼキランその他希珍の托生蘭類も多く合祀で絶える。ワンジュ、キシュウスゲなど世界有数の珍しいものも、合祀で全滅しようとするのをわずかに有志の注意で止めている。タニワタリ、カラタチバナ、マツバランなど多様の園芸植物の原産も合祀で多く絶えようとしている。」

オガタマノキは、モクレン科オガタマノキ属の常緑高木で、天照大神の天岩戸隠れにおいて天岩戸の前で舞った天鈿女命が手にしていたとする説があります。

そのため、ご神木として、神社の神域などに植栽されている例がみられます。

和名は神道思想の「招霊」(おぎたま)から転化したものとされています。

本州の関東中南部以西と四国の海岸部、九州の低地、南西諸島に分布しています。

熊野地方も多く見られたのでしょう。
  1. 2014/02/20(木) 00:00:42|
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蜂田神社(その百五)


熊野詣が盛んであった中世、参詣者は、熊野三山それぞれで、先達から梛の葉を手渡されたといわれています。

また熊野比丘尼は、梛の葉を配って人々に喜捨を求めました。

一方、参詣者は梛の葉を護符として袖や笠などに付け、帰途の安全を願いました。

熊楠が、力説したように、梛は熊野の信仰とは切っても切れぬ深い絆がありました。

幸いにして、熊楠の心配は杞憂に終わりました。

梛は、マキ科なかでも最も美しいといわれる木です。

そして、針葉樹でありながら、広葉樹のような幅の広い葉を持つ一寸変わった樹木です。

 梛は、熊野権現の御神木として現在も残っています。
  1. 2014/02/19(水) 01:42:43|
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蜂田神社(その百四)

熊楠は、熊野の名木・梛(ナギ)の全滅を危惧しています。

「むかしは熊野の梛(なぎ)は全国に聞こえ渡った名木で、その葉をどんなに強く引いても切れず、夫に離れないお守りに日本中の婦女が便宜してその葉を求め鏡の裏に保存し、また武士の金打同様に女人はこの梛の葉を引いて誓言した。

定家卿が後鳥羽上皇に随い熊野に詣ったときの歌にも、『千早振る熊野の宮のなぎの葉を変はらぬ千代の例(ため)しにぞ折る』とある。

濫伐や移栽のために三山に今は全滅し、ようやく那智社境内に小さきものが一本ある。
いろいろ穿鑿せしに、西牟婁郡の鳥巣(とりのす)という浦の社地小丘林中におびただしく自生している。これも合祀されたから、早晩全滅であろう。すなわち熊野の名物が絶えおわるのだ。」

梛はマキ科マキ属に含まれる常緑高木で、日本の本州南岸、四国九州、沖縄、台湾、中国の海南島などの温暖な地方に分布します。
  1. 2014/02/19(水) 00:17:33|
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蜂田神社(その百三)

熊楠は、諸外国の例を引用し、わが国の神林乱伐を嘆いています。

「金銭の外を知らないと嘲けられる米国人すら、カリフォルニアの巨柏(ビグトリー)などは抜群の注意をして保存している。二十二年ばかり前、予が訪れたニューゼルシー州の一所に、フサシダの一種である小草を特産する草原などは、兵卒が守りっていた。英国やドイツには、寺院の柏の古木、水松(いちのき)の老木をことごとく謄記して保護を励行しているのに、わが邦には伐木の励行とは驚くの外ない。だから例のエセ神職らが枯槁していない木を枯損木として伐採を請願することが絶えない。」

そもそも、自然保護の思想は戦前の日本にはなかったといわれています。

尾瀬原ダム計画によって、ダムの底に沈もうとしていた尾瀬を守るために、1949年に生物学者や登山家などを中心に結成された尾瀬保存期成同盟の結成が、日本での自然保護運動の原点だとされています。

熊楠の私財を擲つての神林保護の訴えは、それを40年近く遡るものですから、正に刮目すべき快挙といえます。

  1. 2014/02/18(火) 01:41:59|
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蜂田神社(その百二)

熊楠は、神社合祀の弊害として、「天然風景と天然記念物を亡滅」をあげています。

「わが国の神林には、その地固有の天然林を千年数百年来残存したものが多い。これに加えるに、その地に珍しき諸植物は毎度毎度神に献ずるとして植え加えられたので、珍草木を存することが多く、偉大な老樹や土地に特有の珍生物は必ず多く神林神池に存するのだ。」と、熊楠は断言しています。

確かに、泉北ニュ-タウン内の神社においても、その例が見られます。

前にも触れましたが、「しりぶかがし」社叢は府指定天然記念物で「大阪みどりの百選」の一つとなっています。

社叢に百本近くを数えるこの森は、造成前の泉北丘陵の原植生を知る貴重な手がかりを与えてくれています。
  1. 2014/02/18(火) 00:23:14|
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蜂田神社(その百一)

熊楠は、英国リッブル河辺や紀州西牟婁郡の滝尻王子社等の例を挙げながら、「このような有実の伝説は、神社およびその近地にもっとも多い。素人には知れぬながら、およそ深き土中より炭一片を得るが考古学上非常の大獲物であるのだ。その他にも比類のことが多い。それなのに何の心得なき姦民やエセ神職の私利のため神林は伐られ、社地は勝手に掘られ、古塚は発掘され、取る物さえ取れば跡は全く壊し尽くすため、国宝ともなるべき学者の研究を要する古物珍品が絶えず失われ、たまたまその道の人の手に入っても出所が知れぬゆえ、学術上の研究にさしたる功がないことが多い。」と指弾しています。

筆者も大いに同感いたします。

この蜂田神社にしても、数多くの神社を合祀しながら、僅か百年足らずの間に、合祀された旧社のいずれもが、その鎮座
跡地すら何処とも判別できぬ有様です。

失われた風俗・習慣、遺物もさぞ多かったろうと推察されます。

乱暴な神社合祀は、熊楠ならずとも嘆かねばなりません。
  1. 2014/02/17(月) 01:43:18|
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蜂田神社(その百)

熊楠はまた、民俗学の必要性を説いています。

「一般人は史蹟と言うと、えらい人や大合戦や歌や詩で名高き場所だけを保存すべきように考えるようだが、実はそうではない。近世欧米で民俗学(フォルクスクンテ)が大いに起こり、政府も個人も熱心にこれに従事し、英国では昨年の政事始めに、斯学の大家ゴム氏に特に授爵された。一般人は史蹟と言うと、えらい人や大合戦や歌や詩で名高き場所だけを保存すべきように考えるようだが、実はそうではない。近世欧米で民俗学(フォルクスクンテ)が大いに起こり、政府も個人も熱心にこれに従事し、英国では昨年の政事始めに、斯学の大家ゴム氏に特に授爵された。」

ゴム氏についての詳細は分かりませんが、熊楠がこの新しい学問分野に興味を抱いていたことには敬服いたします。

民俗学は、風俗や習慣、伝説、民話、歌謡、生活用具、家屋など古くから民間で伝承されてきた有形、無形の民俗資料をもとに、人間の営みの中で伝承されてきた現象の歴史的変遷を明らかにし、それを通じて現在の生活文化を相対的に説明しようとする学問であるとされています(Wikipedia)。
  1. 2014/02/17(月) 00:40:16|
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蜂田神社(その九十九)

熊楠はまた、「 神社合祀により、史蹟と古伝が滅却してしまう。」と警告しています。

「南北朝分立以前、本邦の土地は多くは寺社の領分であった。したがって、著名の豪族はみな寺社領より起こった。近江の佐々木社より佐々木氏、下野の宇都宮の社司より宇都宮氏、香椎・宇佐の両社領より大友氏が勃興したがごとくである。しかしながら、今むやみに合祀を励行し、その跡を大急ぎに滅尽し、古蹟、古文書、什宝をややもすれば精査を経ずに散失亡失するようでは、わが邦が古いというばかりで古い証拠がなくなるのである。」

南北朝以前の、豪族(武士)は開拓領主,あるいは貴族や寺社領の管理人でした。

このような武士の立場は非常に弱いものでした。

国では、中央から任命された国司やその代理人である目代が権力を振るっており,開拓農場主である武士は、その田畑を

寺社や貴族に寄進して、自らはその管理人として実質的な所領安堵を得ていました。

したがって、古文書や什宝が寄進された寺社で管理されている場合も多かったものと思われます。
  1. 2014/02/16(日) 01:17:17|
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蜂田神社(その九十八)

木造建築物の天敵は、シロアリやキクイムシです。

わが国の古建築は、これらの虫たちと戦いながら生き延びてきました.

熊楠も記しています。

「何の考えもなく神林を切り尽し、または移殖私占させてしまったため、この国ばかりに日が照らぬと憤って、(蟻吸は)去って他国へ行き、和歌山辺へ来なくなった。そのために白蟻が大いに繁昌し、ついに紀三井寺から和歌山城の天主閣まで食い込み、役人らはなすところを知らずてんてこ舞いを演じ、硫黄でいぶそうとか、テレビン油を撒こうとか、愚案の競争の末、ついにこのたび徳川侯へ払い下げとなったが、死骸を貰ったのも同然で行く先も知れている。」

熊楠の毒舌は冴えます。

それもその筈で、「和歌山県当局は何の私怨もないのに、熊楠が合祀に反対するのを憎み、18昼夜も入監させたから、天が白蟻を下し、諸処を食い散らしになったものと見える。」と述べているように、熊楠はいわれなき当局の弾圧を受けていたのです。
  1. 2014/02/16(日) 00:19:45|
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蜂田神社(その九十七)

また、熊楠は、「蟻吸」という鳥について触れています。

蟻吸(ありすい)とは、「キツツキ科の鳥。全長、約18センチ。全体に灰褐色。くちばしは弱く、地上などでアリを食べる。北海道および本州北部で繁殖する。」とあります(デジタル大辞泉)。

熊楠は、この鳥は和歌山の辺りにも多かったと記しています。

「これは、台湾のセンザンコウ、西大陸のアリクイ、濠州のミルメコビウス(食蟻袋獣)、アフリカの地豚(アルド・ワルク)と等しく、長い舌に粘液があり、常に朽木の小孔に舌をさし込めば、白蟻たちが大いに怒ってこれを刺そうと集まるところを引き上げ食い尽す。」
  1. 2014/02/15(土) 01:00:38|
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蜂田神社(その九十六)

熊楠の文体は,まことに奔放にして融通無碍、話題は東西・古今に飛び交います。

「熊楠在欧の日、イタリアの貧民が蠅を餌として燕を釣り食べることが大いに行なわれ、そのために仏国へ燕が渡ることが少なくなり、蚊が多くなって衛生を害するといって、仏国よりイタリアへ抗議を申し込んだことがある。やれ蚊が多くなった、熱病を漫布するとて、石油や揮発油のような一時的な物を買い込み撒きちらすよりは、神社の胡燕くらいは大目に見て生育させてやりたいことである。」
  1. 2014/02/15(土) 00:17:44|
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蜂田神社(その九十五)

上掲のバックランド氏については、詳細が不明ですが、確かに 昆虫は地球上最大の動物種群で,その種類はすでに100万種以上が記録されています。

そして、動物総種類数の70%以上も占めているといわれています。

昆虫の中には、人間とのかかわりによって、農作物を加害する農業害虫といわれるものも含まれています。

熊楠は、こう述べています。

「近江の辺りで古来今に至るまで田畑の側に樹を多く植えているのは無用の至りであるといって浅智の者は大笑いするが、(鳥類は)実は害虫駆除に大功があり、非常に費用を節約する妙法というべきである。」更に続けて、「和歌山県には従来、胡燕(おにつばめ)が多く神社に巣くい、白蟻、蚊、蠅をおびただしく平らげる。近来合祀などのためにはなはだしく少なくなった。」と嘆いています。

まさに、鳥類は農業害虫だけでなく、衛生害虫も駆除してくれているのです。

その住処を奪ってどうするのだ、熊楠は怒っているのです。
  1. 2014/02/14(金) 01:57:48|
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蜂田神社(その九十四)

次に、エコロジストとしての熊楠の意見をご紹介しておきましょう。

「政府は田畑山林の益鳥を保護する一方で、狩猟が大いに行なわれ、ややもすれば鳥獣が絶滅に瀕している。今のように神林が伐り尽されては、たとえ合祀のため田畑少々開けて有税地が多くなり、国庫の収入が増加するとも、一方で鳥獣絶滅のため害虫が異常に繁殖して、そのために要する駆虫費は田畑の収入で足らなくなるようになるだろう。」

熊楠は、このように述べてから、神林が伐り尽されると害虫が異常に繁殖する理由を次のように記しています。

「去年12月に発表された英国バックランド氏の説によると、虫類の数は世界中他の一切の諸動物の数にはるかに優る。多くの虫類は、1日に自身の重量の2倍の草木を食い尽す。馬一疋が1日に枯草1トン(270貫余)を食べるのと同じ割合である。これを防ぐには鳥類を保護繁殖させる以外ない。」とし、「和歌山県には従来、胡燕が多く神社に巣くい、白蟻、蚊、蠅をおびただしく平らげる。近来合祀などのためにはなはだしく少なくなった。」と続けています。
  1. 2014/02/14(金) 00:54:46|
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