案山子のダンス

戯れに、小説など。照れますな。

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感応寺(その八十三)

上座部仏教は、南進して、スリランカ、タイ、ミャンマー、インドシナなどに定着しました。

一方、「大乗仏教」は、一~二世紀頃に成立したといわれています。

もっとも、大乗仏教がいつどのようにして誕生したのかは未だ正確には分かっていません。

従って、その成立は大体紀元前後ではないかという説もあります。

その初期大乗仏教が誕生した時期に、『般若経』『法華経』『華厳経』『浄土三部経』などの経典も書かれたとされています。

大乗(偉大な乗り物)という語は、『般若経』が初見です。

大乗仏教は、旧来の仏教が個人的解脱の教えを説いたのに対して、広く全ての人間の救済と成仏の教義を説きました。
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  1. 2013/10/31(木) 19:39:17|
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感応寺(その八十二)

釈迦の没後、仏教は衰退しました。

釈迦の死から100年後ごろ、仏教教団は上座部と大衆部(だいしゅぶ)とに分裂しました。

以後分派が繰り返され、上座部系11部派と大衆部系9部派の成立をみました。

これは、「小乗20部」とも呼ばれています。

もっとも、小乗仏教という言葉は大乗仏教側が用いる差別用語だとされ、昨今はその使用を控えようという風潮で, 上座部仏教と呼ばれています。

仏教とは、修行して悟りを得ることを本来の目的としています。

上座部仏教は、この教えに忠実であろうと勤めてきました。
  1. 2013/10/31(木) 08:46:09|
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感応寺(その八十一)

釈迦は、現世は一切空であるとし、その苦しみから解脱する方法を人々に説かれました。

釈迦は,修行によって自らを空にし、解脱しようとされました。

つまり、煩悩による繋縛から解き放たれて、迷いと苦悩の世界から悟りの涅槃の世界へと脱出しようとされたのです。

偉大な実践者であり伝道者であった釈迦は、自らの経典を残されませんでした。

まさに、「不立文字」を実践されたのです。

つまり、悟りは本来文字や言葉によることなく、修行を積んで心から心へ伝えるものだと教えられたのです。



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  1. 2013/10/30(水) 16:07:21|
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感応寺(その八十)

このような時勢にあって、すべての人は、ただ「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるだけで「極楽浄土」に往生できるという、他力仏教が広まったのは、ある意味では当然の現象だといえます。

ところで、阿弥陀の前身であるとされる法蔵菩薩は架空の人物です。

したがって、阿弥陀如来の物語も歴史的事実ではありません。

それで、仏教的な真理に人格を与え、菩薩とか如来とかの称号を与え、人々はそれを鑚仰し、ただひたすらに頼り
切れば極楽往生ができるという説話が生まれてきたのです。
  1. 2013/10/30(水) 10:47:32|
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感応寺(その七十九)

 仏教は、本来の形では自力仏教でした。

わが国にも、その形で伝来しました。

しかし、鎌倉時代に入り、他力仏教である念仏宗が盛んになりました。

念仏宗には、浄土宗、浄土真宗、時宗、融通念仏宗があります。

このように他力仏教が盛況を見せた背景には、自力仏教に対して民衆が抱く深い絶望感がありました。

自力仏教においては、家庭や家族、それまでの日常生活の全てを捨てて出家し、一切の欲望を絶って修行に専心することが求められました。

これは、一般の民衆にとっては、到底なしがたい難事といえます。

しかも、当時の仏教界は、少なからぬ数の堕落した僧侶を抱えていました。

庶民の既成仏教に対する失望感は増すばかりでした。
  1. 2013/10/29(火) 21:10:50|
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感応寺(その七十八)

つまるところ、浄土宗の目指すところは、阿弥陀仏の浄土に念仏によって往生することに尽きることになります。

他の宗派の教義では、自らの修行の成果によってより善い世界に生じ、究極的には成仏することを目指していますが、浄土宗では阿弥陀仏の力を頼って往生する、つまり他力にすがって極楽へ向かうことを目的としています。

したがって、阿弥陀仏の救いをひたすら信じ、声に出してお念仏する(口称念仏)が求められているだけです。

法然上人は、非常に現実的で、凡夫にも実践可能な方法を世間に広めたことになります。
  1. 2013/10/29(火) 07:04:11|
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感応寺(その七十七)

浄土宗の教えは、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るも者以外の誰もが、ただ悟りを求める心をおこして、ひたすらに無量寿仏を念ずれば極楽往生ができると説くものです。

五逆罪とは、①殺母、②殺父、③殺阿羅漢、④出仏身血、⑤破和合僧を指します。

すなわち(1)母を殺すこと,(2)父を殺すこと,(3)僧(阿羅漢)を殺すこと,(4)仏の身体を傷つけること,(5)教団の和合一致を破壊することの5種の罪を犯した者は、無間地獄に堕ちるとされ、五無間業(ごむけんごう)ともいわれています。
  1. 2013/10/28(月) 21:30:44|
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感応寺(その七十六)

これは、阿弥陀四十八願のうちの第十八願に当たるものです。

四十八願とは、阿弥陀仏が法蔵菩薩のとき、衆生を救うために立てたという48の誓願のことをいいます。

「大無量寿経」によりますと、阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩という名で修行していたときに,極楽世界をつくって衆生を救済したいという誓願を起こしたとされています。

そして、その極楽へ往生する衆生の3種類のあり方を述べています。

この3種類の方法のことを「三輩(さんぱい)」と呼んでいます。

つまり、阿弥陀仏の浄土に往生する者を、その行いの深浅によって上輩・中輩・下輩の3種に分けているのです。

上輩とは、出家してとなり、悟りを求める心をおこしてひたすらに無量寿仏を念じ、諸の功徳(くどく)を修める者のことを指します。

また、中輩とは、沙門となって大いに功徳を修めることはできませんが、悟りを求める心をおこしてひたすらに無量寿仏を念じ、多少に善を修める者をいいます。

最後に、下輩とは、ただ悟りを求める心をおこして、ひたすらに無量寿仏を念ずる者のことです。
  1. 2013/10/28(月) 07:01:57|
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感応寺(その七十五)

法然は、先にも述べましたが、道綽と善導の考えを受けて、浄土に往生するための行を「正」と「雑」に区別し、正行を行うように説きました。

正行とは、即ち専修念仏を行うことです。

法然が専修念仏を説く根拠としたのは、「仏説無量寿経」にある法蔵菩薩の誓願です。

「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法」

私が仏になるとき、全ての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、私は決して悟りを開きません 。

ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。
  1. 2013/10/27(日) 17:56:55|
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感応寺(その七十四)

ところで、法然の浄土教の特徴は、従来の仏教のあり方を根本的に批判し、浄土へ向かえる唯一の方法は、「専修念仏」に尽きると主張した点にあります。

法然が、民衆の中に入って布教し始めると、門徒は急増しました。

その背景には、戦乱と飢饉に苛まれ、末法思想が広がっていた世相が関係してきます。

この現象を既存仏教が快く思わなかったのはいうまでもありません。

奈良の興福寺を初めとして、当時既成の仏教教団全てから念仏の停止が奏上されるという事態を招きました。
  1. 2013/10/27(日) 11:45:42|
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感応寺(その七十三)

法然は、観経疏の中に『百即百生の法』を見出しました。

「百即百生(ひゃくそくひゃくしょう)」というのは、百人よれば百人がすなわちそのまま極楽浄土へ生まれるということです。

法然は、善導こそが阿弥陀如来の化身であると信じるに至りました。

煩悩を抱えて、到底それを消し去ることができない凡夫の身であっても、『称念』さえすれば、全て阿弥陀如来が救済してくださるということを、法然はこのとき確信しました。

なお、称念とは念仏を唱えることです。



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  1. 2013/10/26(土) 07:58:18|
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感応寺(その七十二)

ここで少し、『安国論』を離れます。

法然の思想の根底には、自らも含めた衆生の愚かさや罪といったものへの深い絶望感が見られます。

彼はそこから凡夫である衆生の救済という自らの使命を強く希求することになったのだと思われます。

法然は、善導の「観経疏」に導かれて、称名念仏による専修念仏を説いたといわれています。

このことは既に触れました。

「選択集」では、各章ごとにまず善導や善導の師である道綽の語を引用してから、自らの見解を述べる形をとっています。
  1. 2013/10/26(土) 03:24:41|
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感応寺(その七十一)

主人は選択集を通じての法然に猛然と非難を浴びせかけます。。

又云く貞元入蔵録の中に始め大般若経六百巻より法常住経に終るまで顕密の大乗経総じて六百三十七部二千八百八十三巻なり、皆須く読誦大乗の一句に摂すべし、当に知るべし随他の前には暫く定散の門を開くと雖も随自の後には還て定散の門を閉ず、一たび開いて以後永く閉じざるは唯是れ念仏の一門なりと、

この法然の選択集を見ると念仏の祖である中国の雲鸞・道綽・善導の謬釈を引いて、聖道と浄土・難行と易行の旨をたて、の法華・真言をはじめ、総じて釈尊一代の大乗経三百六十七部二千八百八十三巻の一切の経文と一切の諸仏・菩薩および諸天善神を信仰することを皆、聖道門・難行・雑行等に組み入れてしまって、あるいは捨てよ、あるいは閉じよ、あるいは閣け、あるいは抛ての四字をもって一切衆生を迷わしています。
  1. 2013/10/25(金) 08:03:56|
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感応寺(その七十)

専修念仏とは、専ら念仏一筋を行じ、それ以外の様々な行をまじえないということを意味します。

法然は、善導の観経疏(かんぎょうしょ)の次の文に出遇って、感銘を受けたといわれています。

「一心専念弥陀名號行住坐臥不問時節久近念念不捨者是名正定之業順彼佛願故」

一心に阿弥陀仏に名号(みょうごう)を称え、行動しているときも、坐っているときも、臥しているときも、時間の長短を問わず念仏することを続けると、まさしく往生することが定まります。何故なら、それは仏の本願にもとづくからです。
  1. 2013/10/24(木) 11:05:15|
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感応寺(その六十九)

世界大百科事典 第2版の解説によれば、専修念仏(せんじゅねんぶつ)とは、「浄土に往生するため,念仏以外の行をまじえず,〈南無阿弥陀仏〉とただひたすらに念仏を唱えること。
法然やその門流の宗教的立場を端的に示す語である。
広義には,思想的,教団的に浄土宗の立場にあることを示し,他宗からは単に専修,または専修僧,専修念仏宗などとよばれた。浄土宗ないし念仏行者に対する異称でもあった。
法然以前にももっぱら念仏を修して往生した人々はあり,往生伝が作られているが,それら念仏者は,諸行のなかの一つとしての念仏を修していた。」、とあります。
  1. 2013/10/24(木) 06:23:55|
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感応寺(その六十八)

第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除いて已下一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑行と名く、私に云く此の文を見るに須く雑を捨てて専を修すべし

第三に礼拝雑行とは阿弥陀仏を礼拝する以外は、いっさいの諸仏菩薩等および諸々の世天等に対して、礼拝し恭敬するのをことごとく礼拝雑行と名づけるのです。

 以上の文について、法然の見解をまとめていうならば、われらはすべからく雑行を捨てて專修念仏を修業しなければならないのです。



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  1. 2013/10/23(水) 13:09:57|
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感応寺(その六十七)

善導(善道)とは、7世紀の中国浄土教の僧です。浄土宗では、「浄土五祖」の第三祖とされています。

善導は日本の法然、親鸞に大きな影響を与えました。

なお、浄土教では名号を称えるという行為が正行であり、それ以外の行は助行・雑行として嫌貶されています。

雑行とは、正行に対比される語であり、雑は邪雑、雑多の意味です。

具体的には、聖道門の行である諸善万行のことをいいます。
  1. 2013/10/23(水) 09:32:19|
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感応寺(その六十六)

又云く善導和尚・正雑の二行を立て雑行を捨てて正行に帰するの文、第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除いて已外・大小乗・顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名く、

また次のようにあります。

善道和尚が正行・雑行の二行を立て、 雑行を捨てて、正行に帰すべきであると述べた文章は次のようです。

第一に読誦雑行とは、浄土宗の依経である観経などの、 西方極楽浄土に往生できるという経を除いて、 それ以外の大乗教、小乗教、顕教、密教の諸経を受持読誦することを、 ことごとく読誦雑行と名づけるのです。
  1. 2013/10/23(水) 09:24:43|
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感応寺(その六十五)

安国論に戻ります。

主人云うに、

「此の中難行道とは即ち是れ聖道門なり易行道とは即ち是れ浄土門なり、浄土宗の学者先ず須らく此の旨を知るべし設い先より聖道門を学ぶ人なりと雖も若し浄土門に於て其の志有らん者は須らく聖道を棄てて浄土に帰すべし。」

この中の難行道とは、 即ち聖道門であり、易行道とは、即ち浄土門のことです。
浄土宗の学者はすべて、まずこの旨を知るべきであり、 たとえ以前から聖道門を学んでいる人であっても、 もし浄土門に入って学びたいという志のある者は、 当然聖道門を捨てて、浄土門に帰すべきです。
  1. 2013/10/23(水) 05:08:40|
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感応寺(その六十四)

龍樹は、あらゆる現象はそれぞれの因果関係の上に成り立っていると説きます。

したがって、因果関係によって現象が現れているのですから、それ自身で存在するという「独立した不変の実体」はないと論じています。

「独立した不変の実体」とは、自性と言い換えることができます。

自性(じしょう)とは、そのものが本来備えている真の性質と言う意味の仏語です。

つまり、龍樹は、すべての存在は「無自性」であり、「空」であると論証しているのです。
  1. 2013/10/22(火) 04:21:04|
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感応寺(その六十三)

十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)は、龍樹が記した全17巻の仏教論書です。

サンスクリット語の原典は現存せず、5世紀初頭、鳩摩羅什が訳した漢訳だけが残っています。

本書は、華厳経の一部である十地経(じゅうじきょう)の注釈書で、その内容は、大乗菩薩の思想と実践を説いたものです。



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  1. 2013/10/22(火) 03:01:42|
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感応寺(その六十二)

龍樹(りゅうじゅ)は、2世紀のインドの仏僧です。

大乗仏教中観派(ちゅうがんは)の祖であり、「龍樹菩薩」と尊称されています。

わが国では、八宗の祖師と称されています。真言宗では、真言八祖の一人であり、浄土真宗では七高僧の第一祖と仰がれています。

中観派は、インド大乗仏教二大哲学学派の一つで,すべての存在は、その固有の本質をもたず(無自性),空であると主張しています。
  1. 2013/10/22(火) 02:43:44|
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感応寺(その六十一)

世界大百科事典 第2版の解説よりますと、 「浄土門(じょうどもん)」とは、「仏教を分類するしかた(教判)の一つで,聖道門(しようどうもん)に対比される。唐の道綽(どうしやく)の創説にかかる。浄土門は阿弥陀仏の本願を信じ,それにすがって極楽浄土に生まれ,悟りをえようとするもので,他力門・易行(いぎよう)道とされる。」とあります。

同じく同事典には、 「聖道門(しょうどうもん)」とは、「仏教諸宗の位置づけのしかた(教判)の一つとして,浄土門と対比して用いる。聖道門は知恵をみがき,煩悩を断じて聖者(しようじや)となり,この世で悟りを開こうとするもので,浄土門に対し,自力門・難行道とされる。この聖浄二門の教判は,はじめ唐の道綽(どうしやく)が《安楽集》で説いたもので,浄土教では聖道門を難証難行の教えとして退ける。道綽は,五濁悪世の末法の今日では,釈迦の時代を去ることはるかにして,その直接的な教化を受けることは不可能であり,教理は深遠で凡夫では十分理解しがたいため,聖道門は〈今のとき証し難し〉と説示し,浄土門によるべきことを勧める。 」と記されています。



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  1. 2013/10/21(月) 14:26:25|
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感応寺(その六十)

語義の説明を付け加えます。

権教 (ごんきょう)とは、大乗の真実の教えに導き入れる方便として、仮に説かれた教えだといわれています。

これに対して、実教(じっきょう)は、悟りに達する唯一真実の教えだとされています。

「密大および実大をもそんすべし.」 

密大とは、真言宗の秘密の経が優れた経典であり、他の経典を低い教えとして卑しんだ表現です。

また、実大とは、天台大師が、法華経を 実大の経(じっきょう)とし、他の爾前経(にぜんきょう)、すなわち法華経を説く前の教えを方便の低い教えと表現したものです。

なお、方便とは、「 サンスクリット語のウパーヤup ya(近づく、到達する意)の訳。仏教の教えや実践がむずかしくて、一般の人々に理解しがたく実行しがたいのを、彼らを教え導いて、仏教に親しみ、仏教の本旨に到達させるために考案された巧みな手段をいう。とくに仏教が民衆化した大乗仏教において、さまざまな方便が語られ、大乗仏教経典は「方便品(ほん)」を設けている例が少なくない。とくに、法華経のそれは名高い。(日本大百科全書・小学館))」とされています。
  1. 2013/10/21(月) 03:17:34|
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感応寺(その五十九)

道綽(どうしゃく)は、唐代の中国浄土教の僧侶です。

世界大百科事典 第2版には、「中国,隋・唐時代の僧。俗姓は衛氏。幷州(山西省太原市)の人。14歳で出家したが,まもなく北周の武帝が北斉治下の幷州を占領,ついで廃仏を断行したため,亡国と還俗を余儀なくされた。隋の文帝による仏教復興政策により再出家した道綽は,熱心に《涅槃(ねはん)経》を講説していたが,609年(大業5),石壁玄中寺に参って曇鸞(どんらん)の行跡を記した碑文に感激し,浄土教に回心した。ときに48歳,以後没するまで玄中寺を中心として浄土教義の宣布につとめた。」とあります。

また、曇鸞(どんらん)とは、中国南北朝時代の僧で、中国浄土教の開祖とされています。

同じく世界大百科事典 第2版には、「中国,北魏の僧。中国,日本の浄土教の祖。山西省北部の五台山近くの雁門で生まれ,出家ののちは竜樹系の四論(《智度論》《中観論》《十二門論》《百論》)の教義に親しんだ。のち《大集経》の注釈をしようとして病気になり,不老長寿の術を得るべく江南に至り,茅山の陶弘景について学び《仙経》を得て北帰した。しかし洛陽で,北インドからきていた菩提流支に会い,仏教にも無量寿の法があると,新訳なったばかりの世親撰《無量寿経論》(一説に《観無量寿経》)を授けられて大いに恥じ入り,《仙経》を焼いて浄土教に回心し,のちには汾州の石壁玄中寺に住した。」とあります。
  1. 2013/10/20(日) 09:24:41|
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感応寺(その五十八)

 その選択集では、次のように書かれています。

道綽禅師は聖道門・浄土門の二門を立てて、聖道門を捨てて正しく浄土門に帰すべしと説かれましたが、これについて法然が考えますと、はじめに聖道門とは、これについては大乗・小乗の二つがあり、大乗の中に顕教・密教・権教・実教等があります。

これに準じて思いますのに、聖道門として捨てなければならないのは小乗・権大乗はもちろんのこと、まさに密大の真言も、実大の法華も聖道門として捨てるべきです。

したがってこれらの経によって立てているところの真言宗・禅宗・天台宗・華厳宗・三論宗・法相宗・地論宗・摂論宗等の八宗は正しく顕密・権密の相違はあっても、みな聖道門として捨て去り、浄土の一門に帰すべきです。
 
曇鸞法師の往生論の註には、次のごとく云っておられます。

謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙論を案ずるに、菩薩が不退転の位を求めるのに、二種の道があります。

一つは難行道であり、二には易行道です。
  1. 2013/10/20(日) 08:51:20|
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感応寺(その五十七)

 
主人は続けて語ります。

其の選択に云はく「道綽禅師、聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てて正しく浄土に帰するの文、初めに聖道門とは之に就いて二有り、乃至之に準じて之を思ふに、応に密大及以実大を存すべし。
 
然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等の八家の意正しく此に在るなり。
 
曇鸞法師の往生論の註に云はく、謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに云はく、菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り。一には難行道、二には易行道なり。
 
此の中の難行道とは即ち是聖道門なり、易行道とは則ち是浄土門なり。
  1. 2013/10/20(日) 06:35:20|
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感応寺(その五十六)

 主人の曰く、後鳥羽院の御宇に法然といふもの有り、選択集を作る。

 則ち一代の聖教を破し遍く十方の衆生を迷はす。

主人が答えて言います。

後鳥羽院の御代に法然という僧があって選択集(せんちゃくしゅう)をつくりました。
この書によって釈尊一代の説法を破り、あまねく日本国中の一切の人々を迷わしたのです。

法然は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧です。

浄土宗の開祖として仰がれています。

梅原猛氏は、「もしも、仏教を日本という風土に適合させた人をひとり選ぶとしたならば、それはやはり法然であるといわざるを得ないであろう。」と評しています(朝日日本歴史人物事典)。

選択本願念仏集とは、法然66歳のとき,前関白九条兼実の懇請により著した書物です。

法然は、その中で念仏の要義を述べています。

「選択集」と略称します。
  1. 2013/10/20(日) 05:22:49|
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感応寺(その五十五)

 客猶憤りて曰く、明王は天地に因って化を成し、聖人は理非を察らかにして世を治む。
 世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ずべからず。聖人に非ずんば賢哲仰ぐべからず。今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざるを知んぬ。
 何ぞ妄言を吐きて強ちに誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂ふや、委細に聞かんと欲す。

客はいっそう怒りを増して言いました。

明王は治世について天地の道理に則して民衆を化育し、聖人は理と理非を明らかにして、政を行います。今世間の高僧たちは、いずれも天下万民があまねく帰依しているところです。

もしそれが悪侶であれば明王は信じないでしょうし、それらの高僧が聖人でないならば、世の指導者たちがこれらの人を仰ぐわけがありません。

今、世の賢人や聖人がそれらの名僧を尊重しているのを見て、世で仰いでいる僧侶たちが竜象ともいうべき高僧であることがわかります。

それなのにどうして妄言を吐いて、強いて誹謗し、誰のことを悪僧というのか、それを詳しく聞きたいと思います。

なお、竜象とは、徳の高い僧を竜と象にたとえた語です。




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  1. 2013/10/19(土) 07:20:13|
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感応寺(その五十四)

涅槃経には「仏が入滅して後、幾百千年という長い年月を過ぎると、仏法を正しくひろめる聖人たちもことごとく入滅するでしょう。

正法一千年が過ぎて像法時代となり、殊に像法の終わりから末法にかけての時代に、次のような僧が現れるでしょう。

その僧は外面は戒律を保っているように見せかけて、少しばかりの経文を読み、食べ物を貪って、我が身を長養しています。

その僧は袈裟を身にまとっているけれども、信徒の布施を狙うありさまは、猫が鼠を獲らんとしているごとくです。
 
そして常に『自分は羅漢を得た』と云い、外面は賢人・聖人のごとく装っていますが、内面は貪りと嫉妬を強く懐いているのです。

偉そうな顔をしているが、何ひとつ説法もできなければ、信者の指導もできません。

法門のことを聞かれても答えられないありさまは、ちょうどインドのバラモンの修行のひとつである唖法の術を受けて黙り込んでいる連中のようです。

実際には、正しい僧侶でもないくせに僧侶の姿をしており、邪見が非常に盛んんで、正法を誹謗するでしょう。」とあります。」

教文によって世相を見ると、まことに経文どおりです。このような腐敗・堕落した僧侶を誡めなければ、どうして善事を成し遂げることができるでしょうか。
  1. 2013/10/19(土) 05:40:52|
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